編集雑記 No.41〜60
No.60

2012年11月某日
 先月は季節の移ろいを感じる間もないことを嘆いたが、今日はもう次の月末を迎えてしまった。今度は年末という言葉がチラついて、1年のあっと言う間の短さが信じがたいほどだ。客観的に思考すれば、こちらの速度が落ちる一方ゆえの相対的速度感覚なのであろうが、ほんとうにそれだけか? 人間社会の加速度を異常と思う正常な感覚が発しているサインとは違うのか?
 月末〆の請求書を3か月ぶりに起こした。売上額から返品額を差し引くと幾らにもならないので毎月の請求を見送ってきたのだが、伝票の数だけは増えて、溜めすぎるのもよくないので清算したわけ。それに、請求は早く支払は延ばしたいのが商売の常識らしく、そうでないと殿様商法とみられるか、余程何か他に稼ぎがあるのだろうと変な誤解を生むようなのである。別にどう見られたっていいが、余計なことでは目立たず尖がらずがいい。来月末は昨年の常備出荷分の請求期日。これは金額が大きい(残念ながら返品額も大きい)ので、請求書づくりは仕事納めの日にすると決めている。
事務的仕事は几帳面過ぎない可能なラインを決めて、それだけは守るよう心がけている。淡々と決めた方法で処理する。と言うと、立派に聞こえるかもしれないが、ほんとうは、そんなふうに自分で処理できてしまうだけの事務量であることの方が営業上大いに問題なのである。発行点数と売れ行きが計画通り、いやそれ以上に順調だとしたら、他の人手に頼るか、別の合理化、省力化を導入しているはずだ。いずれそうなるまで自分の手でと思っているだけなのにそうならないのは、考え方が逆で、営業に割くエネルギーとコストが少ないから売れないのだという助言を受ける。商売の論理はそうなのであろう。そういった論理で勧誘する代行業や事務作業のシステム化の案内も頻繁に入る。その誘惑に乗れないのは、費用の工面ができないことには始まらないのももちろんあるが、私の中で先立つのはやはり製品をつくることであって、商売はそれに続くものという旧い農工商観がブレーキをかけているのも確かだ。自分の身の丈を超えないという安全策としても、それでいいと思ってきた。しかし、黒字体質あってこその安全策なのであって、安全策が赤字を生んでいる矛盾を突かれると返す言葉はない。もしかすると、蟹は自らの甲羅に似せて穴を掘る、ということわざ通りのことを演じているのかもしれない。そんな自分の正体を認めてしまうと、いよいよ手詰まり感を否定できない。残された一縷の救いは、待てば海路の日和あり、ということわざもあることか。

No.59

2012年10月某日
 新幹線の窓を景色が流れていくように日が過ぎ去る。気候も、秋が飛ばされてしまったようで、長かった夏が終わったと思ったらもう冬の気配だ。日本の四季もアナログ的に移りゆく情緒を失って、ディジタル化に向かっているのだろうか。いや、もしかすると、こちらのアナログ的な感度が鈍ったのかもしれない、と反省してみる。人工的環境に対応しているうちに使用されない感性は退化する。主観的には保守主義を通したいと思っていても、技術の進歩への適応不全と受け取られて反論する気も起きない。実のところ、それを拒否してやっていけている訳でもないのである。仕事の核心は旧態依然のアナログ思考であることに変わりはないが、自然の風があたらない部屋の中でパソコンの前に座っている時間だけが増えている。
 いつの間にかアマゾンで本を買うことも多くなった。書店に出かけて直接手にとって買いたい、出版人としてはとくに、書店が繁盛してほしいとの思いが強いのに。書店で本を眺め物色している時間、それを含む街歩きの楽しさに飢えているのに、電車に乗って出かける時間を惜しんでしまう。しかし、便利な安直さは、利用してみると何も文句は言えない。週刊誌以外、近所の本屋に目当ての本があることは少ない。注文は可能でも、送料無料で2〜3日で必ず届くアマゾンに敵わない。よく言われる取次に頼る出版流通の問題だ。出版を始めてみて、この日本独特の配本システムが出版文化を支える基盤となっていたことがよくわかった。今も頼りにしている。不合理を感じることがあっても、新自由主義的な合理一辺倒に与する気にはならない。しかしインターネットのグローバリズムに対して、黙視、追認、受け身的な適応、さもなくば廃業の選択しか道がないのでは気が滅入る。出版文化全体の問題としてとらえ、ビジョンを描きシステムの再構築に等しいエネルギーを投入しなければ、既存システムは侵食されるばかりであろう。すでに洋書は本屋から消えた。ネット注文で容易に輸入マージン抜きで買えるのは、経済的には歓迎かもしれないが、新刊書に直接触れて選べる機会は失われた。数少なくても昔は大都市や大学町にあった輸入洋書店で刺激を受けるという体験もなくなった。文化的にどちらの方が豊かで幸せか? 言葉に頼らない音楽のほうは輸入盤も国内盤も一緒で街のCDショップは激減した。今や直接データのダウンロード販売へとシフトしているらしい。電子書籍はそれと同じだろう。書店でも買えるようにしたいなどと言っているが、音楽配信の例をみればそんなことは問題にする意味がないように思える。データを売るのと製品を仕入れて売るのとでは業態が違うのではなかろうか。データは「物」ではないから仕入れる必要がない。配信元とネットショップで足りる。実際に客が選んで買わなければならないのはハードのリーダーのほうだが、家電量販店で買うだろう。アマゾンがキンドル日本版の販売を開始したことがニュースになっているが、これも書店とはまったく関係ない。すべてアマゾンのサービスを売る仕組みになっている。
今や「間に合わせる」だけならインターネットですべて可能だ。その利便性をユニバーサルだ、弱者にも公平な手段だと評価してもいいけれど、間に合わせ「でしかない」こともしっかり認識していたいと思う。「でしかない」ことばかりあれもこれもできてしまう代償に大切な何かが失われることを、ただ仕方ないとは思えないのである。街の書店は書店「でしかできない」本物の商売を追求することによって存続してほしい。出版社の自覚としてもまったく同じである。

No.58

2012年9月某日
 先月、ホームページのニュース欄で『看護管理としての看護情報支援システムの構築と運用』の在庫僅少を知らせた。出荷した書店からの返品がまだぽつぽつあって持ちこたえているが、間もなく尽きるだらう。完売御礼と、増刷できない申し訳なさが半々である。500、最低でも300部見込めないと増刷には踏み切れない。本書は本文2色刷ゆえ印刷代も倍の計算だからなおさら。2005年の発行で既に7年になる。発行時は、ITシステム化と電子カルテ導入というテーマの性質上、売れるのは2〜3年以内と予測した。3年経過時点での売上実績は約6割で、控え目に見積もった皮算用にも達していなかった。しかしその後も極端に落ちることはなく、しぶとく売れ続けた。著者の五島さんが毎年看護管理研修の講師に招かれて使ってくれたことが大きいのだが、考えてみれば、それが可能だったのは、内容が古びることはなかったからにちがいない。最新情報満載の美味しそうな餅を絵に描こうとしたのではなかった。看護管理の現場で奮戦した著者ならではの経験を、同じ看護管理者と分かち合うために書いてもらったのだ。根本的な動機にそれがなければ「著者の」本にはならない。タイトルのアタマには、長くなるが「看護管理としての」とつけて、メインは新システムの紹介ではなく、システム「づくり」にどう携わったかであることを強調した。その経験には普遍的な看護管理実践の原理・原則が貫かれているはずであり、それは簡単に古びたりしない。もちろん今も有効であろう。
 ほんとうは、増刷が叶ってやっと採算的評価が語れる計算なので、あいまいな喜び方なのだけれど、売り切れるのだから理屈以前にめでたい。そもそも採算点を気にしていたら本なんて出せなくなる。
 ところで、聞けば、少数の大病院は別にして、多数を占める中小規模の病院での電子カルテ化はほとんど進んでおらず、200床規模でも未だ2割に満たないのだという。上記の本を作っている当時、2010年までに200床以上の全病院で電子カルテ化を達成するという政府の構想が大々的に発表されていた。えらい違いではないか。役人や政治家は何を根拠に「構想」をぶち上げたのだろうか。現実に立脚した話ではなく、電子産業主導の流れに乗って囃し立てたというか、上から目線で机上の空論を弄しただけではないのか。現場に恩恵をもたらし努力が正当に報われるように計画された志のある話ではなかった。彼らが身銭を切って仕事をする出版社だったらとっくに破産しているはずだと、少し腹立たしくもある。私が採算を気にしていたら何もできないと覚悟するのと、採算を考えないで好き勝手ができるというのとは、まったく違うということだけは言っておきたい。。

No.57

2012年8月某日
 今年も暑い夏を十分味わった(正しくは現在進行形だが、頂点は過ぎた感あり、願望を込めて過去形にする)。ここ数か月デスクワークへの集中に努め、ほぼ缶詰状態を続けてきたが、やっとトンネルの先の明かりが見えてきて、少し肩が軽くなったような。しかし、机の左側に目をやれば、中断したり、返信を怠っていたり、後回しにした不精と不義理の山が積み上がっている。要領よくはたらかない愚図な頭をつくづく自覚する。近頃はそのまま忘れてしまう(自分が何を考えていたのか思い出せない)ことも少なくない。昔は、忘却の篩が重要事項を選り分けてくれるだとか、鮮度よりも熟成を大事にしたいのだなどと言ったりした。馬鹿な豪語であり、都合のいい言い訳でしかなかった。今は素直に反省。度し難い老人の厚かましさには陥りたくないので。
この季節は毎年、いくつかの学会に出張して営業の機会にもしていた。今年は結局すべてパスした。出展も見送った。おかげで、返品の片付けに汗をかいていないのだから、それでよかったのだと思っておこう。
2012年8月某日
 取次の鍬谷書店から“常備セット”づくりのためのスリップを受け取った。例年より2週間早い。去年は倉庫に場所を借りて作業したが、冷房のない中での肉体労働は無理と判断、事務所をせいいっぱい片付けて空間を作り出し、実行する段取りを考えた。常備で出すのは16点、それを小段ボールに詰めて1セット。今年の注文は89セットだから、16×89=1,424冊を用意して、1冊1冊に常備配本用のスリップを差し込むことから始める。作った箱を何段階かに分けて床に並べ、本を入れあんこを加えて荷造り、クラフトテープで封をする。できた箱は地下駐車場の壁際に積み上げた。ワゴン車2往復で納品完了。取次の担当者に、なんと「すぴかさんが一番乗り」と驚かれてしまった。アルバイトの手も借りられて3日で済んだ。こういう作業では分業の力が実に大きい。終わった後気持ちがいいのは、細切れの分業ではなく、目的が見えていての作業の分担、すなわち共同作業だったからであろう。
 常備書店のリストに、3月で閉店になったジュンク堂新宿店がないのが寂しい。閉店が話題になり、惜しまれ、閉店セールの盛り上がりがまた話題に取り上げられたことの意味を、どう噛みしめたらいいか。ジュンク堂新宿店が開店したのは2004年秋、小社創業と同年なのである。その年の夏、大阪で学会があって出張したのだったと思うが、営業のことをまったく知らない飛び込みで、ジュンク堂大阪本店を訪ねたと記憶する。その時応対して、手渡した注文用紙にその場ですぐ数字を書き入れ(確か1冊ではなかった)書店印を押して返してくれたNさんが、近々新宿店が開店することと、彼自身が赴任することも教えてくれた。それ以来、新刊案内のFAXに応えて最も多くの注文を返してくれたのは、いつもジュンク堂新宿店だった。どんなにありがたく、励まされたことか。私はとうとう閉店セールに足を運べないままだった。申し訳ない思いがある。遅ればせながら、改めて感謝を記しておきたい。

No.56

2012年7月某日
 やっと次の新刊予定の原稿を印刷所に入れた。今年初の入稿。どうみてもこんなペースではアブナイのであるが、仕事が渋滞して遅れれば遅れるほど、入稿を急ぐより、どうせなら完全原稿で、という方へ気持ちが傾く。社内分業の相手がいないのでずるずるとこうなる。この間、自由と自己責任を引き受けたつもりの緊張感ではなく、変な自分らしさをただ垂れ流しているだけのような、反省ともつかないもやもやとした思いがあった。細々と続けている請負仕事のほうは期限に合わせてなんとか片付けているので、やはり自己コントロールの問題なのである。
 実際のところ自己管理は難しい。自立、自主管理、セルフケアと、言葉の上ではそれを目ざす考え方をとってきたけれど、結局はロマン主義的心情でしかなく、実生活に資する能力にもスキルにもなっていない。もって生まれた素因、資質、あるいは形成された性格で生きているという以上のことは何もないのではないか。山本夏彦は「世は〆切」と一言で定義していたっけ。確かに事実はその通り、理屈を超えている。老獪な認識は強い。
 そういえば彼が無敵の編集者であったことを思い出した。調べたら今年は没後10年。すでに雑誌『室内』もその会社もない。消滅は自然に思えるし、山本が成り行きを未練に思うこともないであろう。しかし、老獪な経営者でもあった(らしい)彼が、出版界のこの10年と現況を予想したかどうか、彼だったら何と言い、どうするか、ちょっと聞いてみたい気もする。。

No.55 

2012年6月某日
 国の政治がますますひどい。どこへ行っても誰に会っても、皆が皆あきれている。消費増税可決? 先立つものは金、としか考えない愚。そんな愚者の「決断」に「ご理解」だけを求められる。普通の人間関係だったら、ふざけるなと言って関係を断つだろう。保険に入るのにも不動産を買うのにも、契約事項のいちいちに説明を受ける。金融商品の場合はリスクの理解確認を欠かすと違法になるのだそうだ。それなのに、民間にそんな消費者「保護」を強制している国自身は、一方的に金の取り立てを決めて恥じない。法律さえ通せば、同意も不要、説明義務もないわけだ。釈然としないけれど、それが国家と国民の関係の本質だということはわかっている。だからこそ、国家と国民の間の関係を保つ媒介として、政治が健全な力を発揮する必要があるのだが、いまや虚しい期待である。権力を取りたいだけの政治家。政治主導と言ったって、自分たちがやりたいようにやりたいと思っただけで、実力のなさが知れるとついぞその言葉も聞かなくなった。3.11の国難においてすら、足の引っ張り合いの政治ごっこが目立ち、大同団結してあたろうとする姿はみられなかった。庶民の床屋政談ではいつも、身も蓋もなく「政治家がいない」の一言に帰着して、慨嘆に終わる。しかし、それ以上の真実が何かあるだろうか? 今の首相はそれを知って、一人我こそは政治家たらんと勇んで「政治生命」をかけたり「不退転の決意」をしたりしているのかもしれない。二重に困ったことだ。 首相は「責任を取る」と言うけれど、国民に損害賠償する気もできるはずもないのだから、「責任を投げだす」と言うのが正しい。そもそも公約違反の始末書も詫び状も書かない人の言葉に何の意味があるというのか。否応なく責任を取らされるのは、「選んで」しまった国民なのである。選ばなかった国民も「選ばなかった」ことで責任を取らされるしかないのだから、まいる。一方、代議士たちは「選ばれた」ことで無条件に特権が与えられ、それが既得権のごとく胡坐をかく。権利に伴う義務と責任の甘いこと。さらにもちろん、政治家をのせた役人たちがどんな責任を取るのか、聞こえたためしはない。 政策を選べない、詐欺をはたらくような政党を選ぶしかない。選びたい選択肢のないところで選挙権の行使を強制される。積極的な一票を投じられない人も多いはずだ。支持政党なしが多いのも、投票率の低下も、単なる無関心を理由にするのは違う。放っておけば、このように議会制民主主義と国家社会が蝕まれてゆくという実験場に、いま私たちは立ち会っているとの思いが強い。もちろん問題はその先なのだが、ビジョンが描けない。あれだけの3.11でも変わる契機にならないのでは、“復興”も、終わらない福島も、ほんとうにどうなっていってしまうのだろう。 原発再稼働に抗議する人々が首相官邸を取り巻いたという。溜まりに溜まった憤懣が出口を求めているのだ。組織動員でなく、インターネットを介して個々人が続々数万人集まったことに、新しい可能性をみて、「紫陽花革命」などと早速言いだす人がいる。デモに水差す気は毛頭ないが、能天気な希望を先走らせるのはやめてもらいたい。古い私は、逆に、これだけの問題に組織動員がないことのほうに危惧を覚える。人々の意思(絶対的少数でないことは明らか。相対的多数意思である可能性さえ高い)をひとつの意志に取りまとめる役割を買って出る政党も党派もない、労働組合も学生自治会もないのであろうか。社会的機能不全としか思えない。 旧来の組織依存から個の自立を志向した結果が、組織改革ではなく組織の衰退をもたらし、人と人とのつながり(コミュニティ)は希薄になり、その代償であるかのようにインターネットが登場した。ディジタル技術革命による電子社会化がこれからますます進むとして、それは、コミュニティがソーシャルネットワークにとって代わられることなのか、別の匿名的なコミュニティをもう1つ持つことなのか、あるいは、新たな組織的絆を伴ったより強靭なコミュニティ生むことになるのか。私が希望を託せるのは最後の仮説だけだが、自然とそうなるイメージが具体的に思い描けないので、新しい可能性に対しても希望だけをみることはできないのである。いずれにしろ、私は、現実社会の代わりに何かで満足したいとは思わない、ということにこだわる。

No.54

2012年5月某日
 学会シーズン到来。会場で販売を任された書店から小社にも出展の依頼が来る。以前はこちらから問い合わせて、出展を願い出ることから始めなければならなかったので、ありがたい。しかし、今期は未だ1点も新刊を出せていないので、あまり元気のよい反応を返せない。前の新刊発行からもうすぐ1年経つなんて、早すぎる。いや、当方が遅すぎるだけと言われればその通りでもある。その間、あまり愉快じゃない頓挫もあるにはあったのだけれど、休みなく仕事を続けていてこの結果なのである。今更焦らないが、馬力の衰えは認めざるを得ない。下を向いて一歩一歩行く登山者さながら、それにしても、頂上のなんと遠いこと。
前回触れた翻訳原稿は依然進行中。そして、なおしばしば言葉というもののむずかしさとぶつかる。考え込むなかで、水村美苗著『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』が思い出されて手に取る。奥付をみると第1刷発行が2008年10月、私のは2009年3月発行第7刷だからずいぶん売れたのだろう。改めて、その慧眼と見識に深くうなずくことが多かった。翻訳についても、「普遍語」化しつつある英語と非・英語との間にある「非対称的な関係」として明確に論じている。言語間の対称性を想定して同時的に行なう、話し言葉の通訳とは違うわけだ。日本語的世界と英語的世界の違いがぶつかるとき、日本語に「置き換える」のではなくて、日本語として「取り込む」役割を果たすのが翻訳だと考える。近代日本の書き言葉としての国語はそのようにして守られ育ってきた。逆に言えば、日本に翻訳文化が育たなければ、日本の国語は衰退し、英語の植民地化(水村によれば、「普遍語」に対する「現地語」化)をたどったかもしれないのだ。翻訳に伴う困難感は、いわば国語が味わう生みの苦しみと考えると腑に落ちる。
英語を普遍語とするグローバリズムとネットコミュニケーションが進む現代、固有の言語(国語)は、守らなければ亡びてゆくだろう。その「運命」を甘受する自覚があるならともかく、日本語を滅ぼすことに加担するような国語教育に対する国の無策、無自覚ぶりをを座視できずに、水村は本書を書いた。心理学的な自然言語の習得(言語学習)とは次元を異にする、国語を学ぶことの意味と価値が、歴史をふまえ、現在の文化状況を見据えて諄々と説かれている。ナショナリズムに彩られた心情とは違うが、やはり警世と憂国の書と言ってよかろう。再読の拾い読みですら感動を覚えた。書かれた言葉(読まれるべき言葉)の力とはそういうものだ。私自身まともな国語教育を受けないできた世代だが、職業柄もあって、国語は「自然に身に着く」なんて安易なものではないことを、身にしみて了解する。
言葉をコミュニケーションの手段としてとらえるだけの機能主義ではだめなのだ。グローバルなコミュニケーション機能を至上命題にするなら、世界は数学的な記号だけが飛び交うことになるだろう。コンピュータ言語はそれを目ざしているわけか。人間の発する言葉は私語のレベルの有用性を満たすだけになり、究極的には、それも廃れて言葉が消えてもおかしくない。それとも、コンピュータ言語やシステム記号で小説や詩が書かれるようになるのだろうか? それが「普遍小説」とか「普遍詩」とか呼ばれて、世界中に翻訳不要の「普遍文学」として流通するなんてことに? 水村は「いくらグローバルな〈文化商品〉が存在しようと、真にグローバルな文学など存在しえない」と言っているが、ひょっとすると、もう誰かがそんな「新文学」を始めているかもしれない。それに対しては、「日本語が読みたいのだ」とだけ言う。

No.53

2012年4月某日
 今月はデスクワーク三昧で過ぎた。ゴールデンウィークを目途に、極力雑務は後回し、他は棚上げにして集中するも、本日早や月末、予定の半分がやっとというのが結果だ。仕方ない、と自然体で受け止めて一息つくことにする。
 向き合っているのは翻訳原稿。翻訳という仕事に、編集者は訳者ではなく、まずは訳稿の読み手として参加する。日本語の文章が相手なのだから、やることは似たようなものだが、停滞すると、脱出するのに何倍ものエネルギーと時間を要する。意味の理解があいまいで腑に落ちないところにぶつかると、全体の大意をつかむことが肝心と心得るので、いったん保留にしたまま先に進んではみるのだが、やはり気になって途中で引き返して原文にあたる。すると、誤訳と判断して落ち着くこともあるが、正誤ではなく、別の解釈が幾つも出てきて日本語表現としてどのような文章を選ぶのが最適か、大いに迷う。もっと言うと、原文が悪文だとしたら(もちろん自分にその判断能力がないことを承知で言うのだけれど)、それを解釈してわかりやすい日本語にするよりも、そのまま日本語の悪文に移すことのほうが正解なのかもしれない。悪文も文なのであり、そこに固有のニュアンスと意味があることを考えると、解釈は読者に委ねるべきだという意見を聞いたこともある。しかし、やはりそれは逃げだと思う。いい加減と無責任の言い訳と、区別がつきにくい。自動翻訳機による省力化なんてことが行なわれて、馬鹿げた、けしからん事態が現にしばしば起きていることとも、どこかでつながっていそうだ。
訳者は、翻訳可能性と不可能性の間で呻吟しなければならない。翻訳とは、その難しさ、逆に言うとそこに面白さを感じている、それゆえの苦労を買って出るということなのではないだろうか。編集者としては、原稿に手を入れるとなると、訳者の苦労を推察しつつ、その苦労に輪をかける行ないのような気もしてきて複雑である。経験則として言えるのは、日本語の著者原稿を読むのと本質的に同じことだが、早くわかった気になるのが危ないということ。落とし所がはっきりと見えてくるまでねばる、そんな感じか。

No.52

2012年3月某日
 経験的に言って、年間をとおして売上のもっとも多い月が新学期前の3月である。願わくば、特定の新刊がヒットして直近月の売り上げをはね上げてほしいものだが、それによる忙しさをずっと味わっていない。はるかに思い返せば、創業時の2点がそれに近かったか。ビギナーズラックというものなのだろう。いわゆる教科書を出しているわけではないので、あてにはできないし、営業活動もしていないけれど、今年もいくつか採用注文が入った。一度に100冊近い売り上げになるのだから大きい。書店の店売や個人注文で100冊売るのはどれだけ大変なことか、思い知らされてきているので、この時期、たとえ数点、数校でも採用があるかどうか、今の小社には命綱を待つような気持ちだ。実のところ、採用がふえる期待よりも、古い本の採用が消えることへの心配のほうが大きかったのだが、今までの結果はマイナス2プラス2で、昨年と同じくらいの売り上げを維持できたようだ。継続して指定図書に選んでくださっている先生には本当に感謝しているし、良書と信じる本を出版することへの励ましをいただいている。今回は、新しく未知の学校の未知の先生から採用注文が入ったことを特記しておく。特にうれしかったのは、それが発行後7年にもなる『臨床看護面接』だったこと。よくぞ指定してくださった。幸い(?)在庫はまだ十分ある。在庫の負担を意識するたびに、在庫するのも出版社の使命だと言い聞かせてきた甲斐があったというものである。
 もう一つ書きとめておく。昨秋からの返品ラッシュもようやく収まったようで、今月は何度も取次に納品に通っているけれど、返品の受け取りはゼロで済んでいる。よい兆しだといいのだが。

No.51

2012年2月某日
 この冬は「寒冬」なのだそうだ。そんな言葉を聞くのは初めてなので、手近な辞書にあたってみたが、どれにも載っていなかった。これを書いているワープロの変換候補にもないので一般的に使われている国語ではないと思う。ところがインターネットのウィキペディアをみると、早速もう誰かが載せていて、気象学的に定義された用語だと説明している。インターネット万能時代の便利さではある。素直にありがたがればいいのかもしれないが、私は逆に、マスコミが一時伝えた言葉がこうしてすぐに流布していくことに、なんだかなーと思ってしまう。
 “現代用語”が国語に登録されるまでには淘汰期間があって、言葉は成熟して社会的に共有されるものだった。それがデジタル情報化時代になると、何でもありで、既成事実化がどんどん進む。情報量は増える一方。それで言葉が豊かになったかというと、そうではなく、お互いに知らない言葉が使われて通じ合えないことが多くなったような気がする。豊かな意味を運ぶ言葉の理解をとおしてわかり合おうとすることは、あいまいで能率の悪い努力として退けられ、Yes or Noの結論で足りる記号的なコミュニケーションが幅を利かすようになっていく。グローバリズムというのもそれを根にしてはびこるわけだ。つまり、moneyによる記号的意味と価値の一元化。言葉も英語に一元化することで能率を上げようなんて言っている。記号ではなく言葉を仕事にしている編集者としては由々しきことだと思う。
2月某某日
 身にこたえる寒さも峠を越したようだ。と思っていたら、またもや寒波襲来で、最低気温を更新しそうな予報が出た。しかし、寒さに体が慣れたこともあるだろうが、日射しは力を増しているし、春の気配は確かに感じとれる。
 それにしても、地球温暖化が騒がれていたのが嘘のよう。逆に寒冷化説が話題になっている。どちらも現代版杞憂ならいいのだが。冷え込んだ夜は特に星がよく見える。冬の星座を見上げて、 宇宙的大自然を前にすれば人間は小さな受動的存在でしかあり得ないこと、言いかえれば、自然の恵みによって生かされているという事実を思ったりする。科学技術が進んでどんなに巨大な力を手に入れようと、所詮オモチャなのである。宇宙の運動を制御することができないことにおいては、今も太古の昔と変わらない。大震災の教訓もそこにあるように思う。来月は3.11から1年。いろいろな儀式・行事が予定されているであろう。しかし、国の総括はなにか進んでいるのだろうか。

No.50

2012年1月某日
  新年が明けてまた1つ歳をとる。今年こそ三が日は仕事をすまいと決めて、家では大島を着て過ごした。気持ちはだれないのに、楽である。それに案外暖かい。体に密着しないで空気を含むところが多く、体温が保持されるのだろう。足袋も下駄も好きだ。もちろん畳も障子も。しかし、そんなことを再認識するのも正月くらいになった。せわしないだけの日常を、もういい加減に断ち切らないといけない、と年頭所感じみた思いが浮かぶけれど、我が社の業績安定が先に立たないことには虚しい。現実をみて、なお前向きな決意表明としては、「持続する志」なんて格好つけてる場合ではなく、「持ちこたえる執念」とでも言うのが実際のところだ。それにしても、今年一番に入った取次からの電話が、初荷の注文ではなくて、返品引き取り要請だったのにはまいった。
初夢はみなかった。昔の新聞は決まって初夢の話題を載せたものだが、それもなかった。人の夢なんかとっくに現実に追い越されているご時世なのだ。それに、目を瞑れない現下の状況の重さ。夢をみている間はない。いっそ、もう夢をみることはやめよう、と言いたい気がする。語るべきは切実な望みであり、希望なのではないか。過去の回想にふけりがちな私が言うのでは、思想的迫力が薄れるだろうが、今や、未来を夢として語ることに罪を感じることはないか、と問いたいのである。そしていつも思うのだが、進歩はなぜ古き「よき」ものを失わせることになるだろう? 私にはずっと解けない謎である。
正月変わらないものに何がある?と考えて思い浮かぶのは、年賀状と、元旦の新聞のつまらなさだ。電子メールが一般化しはじめた頃、年賀メールがはやって葉書が廃れると予測する向きもあった。新年が明けると同時に携帯での発信が集中して回線がパンクしたなんてニュースもあった。今はそんなこともないようだ。若い人たちの間でのことはよく知らないが、年賀状の風習はそれなりに今も健在である。もちろん、リアル書籍出版社の希望にもつながる話なので喜ばしい。新聞のほうは、記事がつまらないことは同じでも、昔のようなドサッと置く厚みはない。ご祝儀広告が明らかに少なくなった。なかでも、元旦の新聞で一番の楽しみは出版社の広告で、大手出版社そろい踏みでその年の新刊予定を競っていたものだが、昔日の面影なし。実にさびしい。しかし、そうではあるけれど新聞は届いてほしい。新聞も年賀状も、郵便配達も新聞配達もなくなってほしくない。
ところで、元旦の新潮社の新聞広告は、先月ふれたドナルド・キ―ンさんを登場させていた。本を読むキ―ンさんの写真と、彼のメッセージを伝える文字原稿による構成。私は日ごろ新潮社の装丁の品のよさを評価するものだが、余計なものを削ぎ落して印刷された文字の力を信じる、出版社ならではの立派な広告だと思った。そして、新聞のどの記事よりも心を打たれた。切り抜いてとってある。線を引いたフレーズをここに書きとめておこう。‘…私がいまだに感じるのは、この日本人の「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです。’‘…「日本的な勁(つよ)さ」というものを、心にしみて知っている…’‘…わたしも日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。’‘勁(けい)健(けん)なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、勁く歩を運び続けようではありませんか。’

 No.49

2011年12月某日
 連日の寒さに縮み上がっている。12月にここまでの冷え込みは記憶にない。東北の冬の厳しさはいかばかりか。それにつけても、政治がらみの話は依然、聞けば聞くほど心まで寒くなる。
 やはり今年は特別な一年だった。しかし、そう区切ってしまえないほど1年の短さを感じてもいる。けりがつかない。つけてはいけない。主観的な総括の出る幕ではない。未来予測がもてないなかで、変わってしまった世界が重くのしかかる。それでも地球は回っているので、先の先につながる新しい何かが生まれつつあるに違いない。そう思いたいが、我が身のことになると、変われない自分がますますはっきりするばかり。変わらない意志や信念なんかじゃない。この生業を維持したい気持ちが涸れていないだけ。つましい望みなのである。「電源喪失はしていない」と言ってみれば、少しは前向きに聞こえるだろうか。
 心が温かくなるいい話があったことも忘れないでおこう。第一にドナルド・キ―ンさんが思い浮かぶ。震災後すぐ、今こそ日本人になろうと帰化を決めた。日本文化が好きだということのなんと純粋な意思表示だろう。この心理回路は日本的義理人情の価値観、倫理観に立つのでなければ理解がむずかしかろう。文人魂にふれ、意気に感じるとはこのことか、とうれしかったのである。絶望の淵にあっても文化は輝くことができる。スポーツにしろ芸能にしろ文化は人を元気づける力があった。震災後、多くの書店が失われ、物流も途絶えて本を買うことさえむずかしかった東北で、逆に本の売り上げが一時急伸したというニュースもあった。ゲームの楽しみでも携帯で間に合う情報でもなく、本が必要とされたのだ。電子ブックリーダーがあればよかったのにと言う人もいるだろう。本とは何かを知ろうとしない人だ。自分の延長とも言えるものがこわれたり失われたりした人々が書店に向かったのである。引用するのは我田引水でちょっと恥ずかしい気もするが、心を「なぐさめたい」「落ち着かせたい」「支えたい」という言葉があった。ストーリーの面白さに興奮したいというのとは違う質のニードに応えるものが、消えることのない字や写真が印刷されて一冊一冊手に取れる本として存在する物体にはある。彼らは、本という物に会いたくて書店に向かったのではないだろうか。
 つい先日、三陸の大槌町で被災者夫妻が新規に本屋を始めたという新聞記事を読んだ(朝日、22日)。そういえば以前、震災とは関係ないが、北海道の留萌市で書店が一軒もなくなってしまったことに対して住民の誘致運動が起こり、それに応えて三省堂が出店を決めたという話題もあった。どちらの土地にも昔訪ねた思い出がある。今度は書店を訪ねて行ってみたい。読者も書店も出版に携わる者も、お互い意気に感じて、本の文化を守り育ててゆく、そんな理想が単なる夢想ではないことを胸のどこかに刻んでおこう。
      

No.48

2011年11月某日
 愚痴に堕するので口をつぐんでいようと思っていたが、秋の返品ラッシュが終わらない。昨年度の常備書店からの返品に加えて、ついこの間出荷したばかりと思える新刊も容赦なく戻ってくる。書店で人目に触れていた期間は実質どれくらいなのだろうか。なんだか「売れない」と決めつけられて突き返されたような気持ちになる。受け取った返品は倉庫には戻さず自社に引き取る。褪せたり汚れたりで売り物にできないものも多い。それを仕分けて保管している。アルバイトさんの手を借りて整理がついたと思うそばから次の返品が入る。出版点数に比例して増えるのは売上ではなくて返品の数だという現実には、ポーカーフェイスの限度を超えて、いささか参っている。
 出戻り本を「処分」するのに忍びないことは前にも書いた。しかし、そんな親の情をどこまでとおせるか、むずかしくなってきた。このままだと、1人出版社にしては贅沢な広さ(50数平米)を借りたことがアダになってしまいそう。減るあてのない段ボールがじわじわと空間を占拠しつつある。まだスペースは残っているが、物置に払う家賃だったら高すぎる。しかししかし、これは原発のゴミなんかとは違うぞ、という未練は捨てきれない。
ここで突然、草森紳一の『本が崩れる』を思い出した。積み上げられた蔵書の隙間でかろうじて  生活する著者の珍談・奇談、他に類をみない奇天烈な随筆であった。これらがそのとおり実話らしいのには恐れ入った。その草森はその後、まさに崩れた本に埋もれて亡くなっている。死後かなりたって発見されたということを知ったとき、悲惨さよりも、余りにふさわしい死に様のように思えて笑ってしまった。すごい人がいたものである。
ひるがえって思うに、当方、返品の山を積み上げてこの先どうなる? 蔵書の山と返品の山の違いは大きい。返品の山に埋没して終わるなんて、ユーモアのかけらもない。以下、思考停止。夢にみるといけない。

 No.47

2011年10月某日
 15日から新聞週間なのだそうだ。それに寄せて東京新聞が見開き2ページの論説特集(論説委員の署名記事)を組んでいた(14日朝刊)。その中の「メディアと報道」の項で次の文章を目にした。前回雑記との関連で書き抜いておく。「鉢呂吉雄前経済産業相の辞任をめぐって〈死の町〉や〈放射能をうつしてやる〉という事実関係にあいまいさの残る発言報道を機に批判を加速させ、結果として〈言葉狩り〉のような事態も招いた。浅薄な同調報道も見直したい」(長谷川幸洋)。それがなぜ起こったかについての検証も考察も欠いてはいるが、「浅薄な同調報道」と明言したのは曲がりなりにも反省がはたらいたものと受け止めたい。少しは胸のつかえが下りたところで、先月宿題にした言葉の問題にむかう。
 死の町……そう表現することが思慮の欠けた不適切さを感じさせ、批判する人がいてもおかしくはない。しかし、それをもって断罪するのは違うと思う。表現の自由がどうのという次元で擁護するのではない。政治家が言葉に気をつけなければならないのは当然だ。しかし今回の場合、当事者を傷つけ、貶める「暴言」や「失言」なのかどうか?
 公式の場で暴言を吐いた後で報道にオフレコを強いた前復興担当相松本某とはまったく異なる。ただしこの件でも、恫喝的オフレコ要請に従ってしまったらしい大手報道機関の体質のほうがもっと問いただされるべきだと思う。その場でいさめた記者はいなかったのか?反発も起きなかったのか?それが知りたい。陰では言えるのにその場では問題にできないということはよくある。いや、問題にしないのが一般の処世術かもしれない。しかし、それで仕事をしてもらっては困る職業もある。
 表現の受け止め方は人によって異なる。実際のところ、報道のバイアス無しでアンケート調査をしたら「死の町」という比喩を何割の人が「けしからん」と答えただろう。形容以前、圧倒的な事実があった。けしからんのはどちらのほうか、明白ではないか。投書欄では、その現実から目をそらさせるような今回の騒動を批判した意見が多く聞けた。もしかすると、そんな健全な読者の声のほうが、発言批判に付和雷同する声よりも多かったのではないかと勘ぐっている。
「放射能をうつす」も論争になるような話ではない。不謹慎な振舞いに対するそしりは甘んじて受けるしかあるまい。それで評価を落とすのは仕方ない。それ以外にどんな「責任」の取りようがあるのか。暴言には事欠かない慎太郎氏の場合、騒がれてもせいぜい発言撤回で済まされてしまう。この大きな違いは何を意味するのだろうか。
 発言者の認識に誤りがあると指摘されたわけではない。適切な表現が考えられることなく、死という言葉のタブー性を利用して、大臣不適格のそれこそ「風評」だけがあおられたのである。そんな世論の作られ方がなんともイヤな感じなのだ。
 被災地に対する迷惑な風評になると怒ってみせた人もいたが、筋違いの言いがかりに近い。それなら放射能「汚染」という言葉も同じではないか。汚染された米、野菜、牛と言われることのやり切れなさ。それで自殺した酪農家の絶望はどう償われるのだろう。それでも、汚染の風評云々より、現実から逃げられない当事者が第一に望むのは、事実を正確に知ることなのだ。この期に及んで、イメージの悪い言葉を避けるという「配慮」を誰が望んでいると言うのか。重大な事実をぼかし、あいまいにしてやり過ごしたい者が、少しでも口当たりの良い言葉、言いかえ、婉曲な言い回しを探す。聞くほうも、それを受け入れてかりそめの安心を得たいという心理がある。しかし、それはやはりゴマカシでしかない。ごまかされていいことなどないのだ。そうきっぱりと思う、強い心を持ちたい。
 子どもの頃、原水爆実験で拡散した放射能は「死の灰」と呼ばれた。辞書をめくってみたら辞書にも載っている。手元の大小4冊すべてに取り上げられていたことに、逆にちょっと驚く。それが今ではほとんど聞かれなくなった。もしかすると、「原子力は安全でクリーン」とする原発推進キャンペーンと関連があるのかもしれない。
      

No.46

2011年9月末日
「貧乏暇なし」ということわざを近頃あまり聞かない。というより、昔のような意味では通用しなくなってしまった。「暇もないほどに忙しいのは結構なこと」と言って返す人が多い。確かに現今の情勢では謙遜にもならないようだ。あるとき気づいて、暇がないのは精神生活が貧しいということだと解釈し直して、反省の言葉にしてきたのだが、我が編集・出版の旧態依然たる業態をかえりみれば、そんな高踏派を気取るのも恥ずかしくなってきた。ことわざ辞典をみたら、起源は江戸時代で、元は「貧乏暇なし蜆売り」とか「貧乏暇なし溜めかつぎ」とか、仕事や職業を形容する表現として使われた言葉なのだそうだ。そうであればぴったり、「貧乏暇なし編集者」であることをしみじみ納得する。それでいいのだ。そう思いかけたところで、同じ辞典の前の頁に、「貧すれば鈍す」とあるではないか。ことわざ恐るべし。
 以上は、立ち止まって考えることなく日々過ぎて、早や月末を迎えていることを言おうとして長くなってしまったまえがき(いつもこの調子だから、人はあきれて、肝心な話を聞いてもらえなくなるのだろう)。
 以下、時々に思ったことを、泡と消えないうちに、書き留めておこう。
 鉢呂大臣の辞任劇とはいったい何だったのか。大臣としての軽さよりも、それにつけ込む悪だくみの意図がはたらいていることを疑う。「放射能をつけてやる」と言われたのは誰なのか? 本人が名乗り出て証言した話は聞かない。そればかりか、私が読んだ新聞記事では、末尾に当社の記者は居合わせておらずその発言を聞いていないとの注記を付けている。ウラが取れていないということか。同じ記者仲間なら取材は可能だろう。記事の掲載にはデスクの価値判断がはたらいたはずで、それを明言すればよく、責任逃れめいた言い草はいらない。伝聞情報を独り歩きさせて鉢呂つぶしの尻馬に乗るのはなぜか? そんなことで騒いでいる場合かと戒めた言論はほぼ無視された。マスメディアが横並びで世論を誘導したとしか思えない。戦前の言論統制も、つまりはこのようにして自ら流されていったのではなかったか。その罪深さを自覚できないのでは、「新聞は死んだ」と言われても仕方あるまい。
 「死の町」という言葉がやり玉に挙がったのも、同じようにイヤな感じだ。どうもこの間、原発関連(大震災ではない)の言説を聞いていると、言葉の問題として次々と引っかかることが出てきて気になっている。編集者としても、言葉の問題から逃げるわけにはいかないので、考えをまとめる必要を感じている。今はもう時間が足りないので宿題とする。

No.45

2011年8月某某日
 夏も盛りを過ぎ、夜風に秋の気配を感じるようになった。節電の猛暑を覚悟したけれど、このまま終わってくれれば、昨年よりはずっとましだ。それでも、6,7,8月をふり返ると無茶苦茶忙しい夏だった。その成果が現われてくれれば目出度いが、そんなあてにならないこと、近頃では口に出すのも恥ずかしい。では何のために忙しくしているのか?自分でもよくわからない。例えば、学会出展のために勇んで荷造りしても、その分返品が多いのでは忙しさの悪循環。そんな自縄自縛に陥っている気配が濃厚なのである。コストパフォーマンスのエビデンスにもとづいた“標準行動”でないことだけは確かだ。
 多忙さの質を冷静に点検すると、優先順位を決めてその通りに行動することができない、あるいは標準行動を回避する、性格的な問題があることに気づく。瑣末なことであるほど、それをまず片付けてしまわないと気が済まない。救急に必須なトリアージという観点に立てば不合理きわまりない。頭ではそれがわかっても、能率的になることになぜか抵抗があるのだ。この「抵抗」については、小社刊の笠原著『本心と抵抗』が興味深い説明をしていて、思い当たることが多々ある。読んで納得したからといって行動障害が改まりはしないのだが。
 別の言い方をすると、好きなものから食べるか、好きなものは後に残すかの違いで、私は後者になる。これは優先順位を守れないのとは違う。好きなものの優先性を意識するがゆえに、大事に取っておくという心のあり方だ。しかし、それで結果的に食べるのが遅くなりがちなことは否定できない。食事については子どもの頃のことで、今では食べきれない心配のほうが大きくなったためか、自然と好きなものから手を付けるように変わった。仕事の忙しさのほうも、歳を考えれば、与えられている時間の少なさを心配して、最優先事項を迷わず片付けるようになってもよさそうなのに、と思うこの頃である。

2011年8月某日
  復興の槌音よりも、それを妨げているとしか思えない国会の空騒ぎばかりが聞こえてくる。すでに半年近く、ずっと。ここまで機能不全が露呈すると、この国自体の危うさを感じてしまう。原発の収束も覚束ないまま、処理が予想以上に進んだという明るいニュースはまったくないのに、権力の中枢はそれをどう認識し、どんな対策をもって臨もうとしているのか、さっぱりわからない。そもそも周知が集められているのかどうか? 参考人招致された学者が自ら行動して知った事実を示し、具体的な緊急提言をしても、多くの国民がそれを後押ししても、聞き置かれるだけ。どう受け止められ、何が動いたのか知らされない。成り行きに任せることで自らが責任を背負い込まなくて済むと考えているのではないか。そうとしか思えない。
 この、すべての国民に関わる重要な問題について議論をたたかわすことさえできていないのだ。国民はそれを聞きたい。勝った負けたの策謀に頭が奪われ、議論を生み出せない議会。「万機公論に決すべし」の精神はどこへ行ってしまったのだろう。マスメディアも与えられた情報を流すだけで、知りたいことを追求する気概が足りない。また、自らタブーをつくってそれを言い訳にしているのではないか。そんなことでは、個人発情報が瞬時に飛び交うインターネット時代に、存在意義を失っていくだけだろう。それならインターネットの情報空間に希望を託せるか? こちらのほうは、はなから免責をうたっていて空騒ぎ無制限を売りにしているようなもの。可能性だけを取り上げて期待するのは間違っていると思う。コントロールが及ばない自由勝手さと利便性は、一方で、その気になれば強権による支配が一気に及ぶような技術の上に乗っていることも忘れてはならない。
 先日の朝、納品に行く車でラジオをつけたら国会中継をやっていた。民主党の某が「引退した魁皇に国民栄誉賞を授与する考えはないか」と首相に質問している。それに「自分も魁皇のファンなので、・・・・」などと首相が答えているのである。ユーモアなんてもんじゃない。次に子ども手当、その後に震災関連と続けていたが、時間の無駄としか思えないユルイやり取り。これが普通の国会議員の実態なのか。馬鹿げてる。
 “政治の劣化”が評論家の枕詞になった。その通りだが、ただ嘆くのでなく、我が世代の政治意識の総括がこのような形に帰結した、との思いを否定できない。「政治ばなれ」を促進したことの付けを払わされていると考えると、やはり自分の問題でもあるのだ。よかったとか悪かったとかでなく、現実の国政を担う政治家にすぐれた人材を輩出していないという、団塊世代の結果的事実を言っている。確かめたわけではないが、一般社会に占める人口比率に比べれば、国会議員集団に占める比率はずいぶん低いのではないか。おそらく官僚たちの世界でも。大学アカデミズムや教育の世界はどうか。今日の現象は我々が経てきた過去が現出させた結果なのである。客観主義を決め込むわけにはいかないのである。

 No.44

2011年7月6日
 先月はとうとう雑記の筆を執れないまま過ぎ、その後は良くなりかけた夏風邪がぶり返して頭が働かなかった。節電下の猛暑で熱中症を心配されたり、放射能の内部被曝を疑う声もあったり、早や夏バテ気味ではこの先が思いやられる。
 新刊『コラージュを聴く』は精神保健看護学会(6月18・19日、名古屋)に当日持ち込んで並べることができた。学会集録の広告にはもう1冊、『グループ回想法実践マニュアル』も載せていたのだが、そちらは間に合わなかった(今月末出来予定)。なぜか毎年、新刊が出るのはこの季節になってしまう。今年はまだ数点続く予定なので、できれば以降、適度な間隔でコンスタントに出していくようにしたい。
 編集者としては本の完成がゴール。しかし、仕事は続いていて、発行者(出版社)としては一段落どころか、そこからがスタートである。世に出し、存在を知ってもらうために果たさなければならない一群の実務が控えている。やるべきこと(やったほうがいいに決まっていること)は、芋づる式に出てくるけれど、営業に割ける力は限られている。工程表に書き出したノルマを手抜かりなくやりきるだけでも、気力を途切らさずに集中してあたらないとむずかしい。後で空いた時間なんて見つかったためしがない。最低限のはずのノルマが目標ラインと化してしまうのが実情だ。というわけで、今回も新刊案内のタイミングを逃すわけにはいかず、高熱を押して、午後からでも毎日出社した。約300書店にFAX送信。最低、受けた注文の処理だけは済ませた。省みて、体調の戻った今それを始めたのでは遅いし、中断した次の仕事に迫られているしで、たぶん、そのための気力を奮い立たすことはできないだろう。(変な言い訳になるけれど、雑記とHP更新の遅れはほんの数日のはずだったのが、それを許すとそうはいかず、1週間がすぐ経ってしまった。)
 書店からの反応はまずまず(経験上、高望みをセーブしているというのが本当のところ)。それよりも、まだ数店でしかないけれど、いつも注文を返してくれる書店が確かめられるのがうれしい。顔が思い浮かぶ担当者のサインがあったりすると、しみじみありがたい。やはり、やるべきことはやってしまうということがすべての基点なのだと、改めて思う。
 見本を持って取次に行ったら、新刊は1年ぶりだから無理もないか、「しばらく休んでいましたね」と言われてしまった。「休んでなんかいません」と抗弁しても始まらないのは重々承知なので、笑ってごまかす。それで会社がもつわけないし、現に苦しい一方である。しかし、我が身には、その1年のなんとあっという間でしかないことか。冷静にこれからを考えると恐ろしいような実感だ。いまさら「これから」なんて考えない生涯現役のポリシーも、老いの身支度、身辺整理をすすめる世間常識の好意的圧力にじわじわ押されていくことになるのだろうか。

 No.43

2011年5月某日
 3.11から80日を数える。何を述べるにせよ、あれから何日、何か月という冠詞を抜きにして筆を下ろすことができない。それが何年になるのか、何十年になるのか、それどころか最悪に向かって坂を転げ落ちている最中なのかもしれない。「福島」からは何ひとつ明るいニュースが届かない。次々と露見する事実は、想定外なんかでは決してない。常識人であれば当然抱いたけれど、根拠のない気休めのプロパガンダを買って出た御用「科学」者たち(メジャー報道機関のほとんどが、そういう彼らを選んで用いたことも、あからさまな事実だった)によって封殺された危惧が、まさに現実だった。いつの間にか「想定外」という言葉も聞かれなくなった。原発事故は天災ではなく、まぎれもなく“人災”であることがわかってしまったからなのだろう。
地震も災害も、どんなに大きな災難をもたらそうと、時とともに過去の出来事となる。そして、可能性としての未来が失われることはないだろう。立ち直り、取り戻し、やり直すために時間を使うことができる。心機一転、ゼロからの出発を励ますこともできる。しかしメルトダウンした「福島」は、収束のめどさえ付いていない。なるほど新聞は言葉を選んでいる。事態が「収束」しなければ「終息」を予測することもできない。「工程表」など発表するそばからほころびが出て、あてにならないことだけは、私がみる限りのすべての論評で一致している。このように終わらない(過去形にならない)ことによって、未来が奪われている、と言えば大げさに聞こえるかもしれないが、心の底で落ち着けない、慰安のひとときを望めないような、この妙な状態は初めての経験のような気がする。避難を強制された人々の心中はいかばかりか。被害とか賠償とかいう言葉さえ、政治家や東電によって語られるのは不遜に聞こえる。
「東日本大震災」という命名に異議を唱える声を聞いて、それもこの心理状態の一因であることに気づいた。天災と人災が一括りにされて「大震災」とされてしまうことによる焦点の拡散が、的確なエネルギーの傾注を妨げているのではないか。「東北日本大地震・巨大津波」と「福島原発崩壊事故」と2つの呼称を打ち出して、現在の問題を分けてとらえるべきだ。そして、後者を前者に含ませてしまわない認識を明確にする。「東北」の復興が「福島」の影響を受けざるを得ないのは事実でも、「東北」と「福島」を同時に復興するわけにはいかないのだ。異なる災害として向き合うのでなければ、具体的には「東北」復興の力が削がれ、「福島」の問題と責任究明があいまいにされたまますすむのではないか。
原発に関する情報は隠ぺいされるか、都合のいい思惑が配慮と混同されたまま流され続けた。公表データさえ科学とは離れた操作が加わり、信頼に値しない。周知を集めた議論と対策が今ほど必要な時はないのに。
こんななかで、ほんとうの言葉はどのようにして紡ぎ出されるのだろうか、ということを考える。インターネット上に吐き出されるつぶやきがそれを担えるとは、私にはとても思えない。ネット社会や電子化、デジタル化による「革命」を謳歌し推進する進歩主義は、原発推進の科学信仰やエネルギーを無限に追い求める巨大技術主義と、根は同じではないか。そう考えているので、それを手段とした言論についても判断保留、積極的に評価する気にはならないのだ。電脳空間が制御不能に陥ることはあり得ないのか? データの無限拡大が破綻したらどうなる? みずほ銀行のATMが止まった。ソニーの大量情報流出が起きた。目に見えない電子に頼るしかない技術を、私は100%信頼することができない。単に科学オンチのせいなのか。それとも、正真正銘の反動主義者であることを自認すべきなのだろうか。
6月の新刊発行について、予定通り行きそうにない危ない現況を報告するつもりで筆を執ったのだが、大状況の前に小状況の言い訳を記す余地は残らなかった。次のHP更新で結果をみていただくしかない。なんとか挽回して、2点載せたいのだが。

No.42

2011年4月某日
 安心の出口が見つからないまま1か月経った。新聞の見出しに「49日」とあったが,まだ一区切りのつけようがない。命日の定まらない行方不明者の数さえ確定していないのだ。そして何より,終わりのみえない原発崩壊。現在の事実を受け止めれば,復興などという言葉を軽々しく使えないのが正常な心理だろう。思うこと,考えることを誰に向かって言えばいいのか,依然,言葉は呑み込まれるばかりだ。憂さ晴らしで発散する方向にも向かえない。居酒屋の客が減っているのも仕方あるまい。それには「自粛はやめよう」と言う声が必ずあがるけれど,自粛はまさに自らの問題,人が勧めたり抑えたりするものではなかろう。そういう輩は自分が自粛できない人間であることを自覚すればいいのだ。自粛ムードを煽るのも,個人に自粛解禁を迫るのも,無闇に人の心に立ち入ろうとする点で変わりはない。いつもは迷惑に思っていた向かいのパチンコ店は,直後数日間営業を止め,今もネオンを消し,拡声器の音を漏らさない自粛を続けている。私はそれを素直に感心してみている。文句を付ける客もいないようだ。
地震に馴れてしまうのもいけないが,地震酔いで三半規管がいかれて,いつも体が揺れているのも気持ちが悪い。たぶん,同じように精神もダメージを受けているのだろう。
仕事は目の前にあるので,休まずに続けている。それが自分の持ち場でできる唯一たしかな社会貢献であると納得してもいる。そのつもりでも,何かが違う。ようやく目処がついた複数の新刊予定が重なってせわしなくしているのだが,いつもの高揚感とは違って,ふっと重苦しさを感じるようなところがある。それは,以前とは時代の空気が違ってしまった,そのように感知してしまう自分も以前とは同じでない,ということから来ているように思う。
たけしが予定していた映画製作を止めた。山田洋次も4月1日クランクインするはずだったという『東京家族』の製作延期を発表した。「もしかして3月11日以前と以後の東京の、あるいは日本の人々の心のありかたは違ってしまうのではないか」と言っている。自分を彼らになぞらえるのもおこがましいけれど,その気持ちは実感的によくわかる。
プロのスポーツ選手たちは見上げたものだと思う。最高の慈善試合を実現させたサッカー,カズのゴールには感動した。野球の新井選手会長も,無様な球団オーナーやコミッショナーに比べるまでもなく立派だった。真情にブレがない。好きな仕事,彼らにしかできないことがある,だからそれをやる。その強さは傲慢とは反対の謙虚さであり,真剣なプレイにつながる。客に媚びる見世物ではないプロフェッショナルによる興行の真価を再認識した。蛇足だが,大相撲は大丈夫だろうか。
そう言えば,もうひとつプロの仕事だなーとしみじみ感じたことがある。「上を向いて歩こう」「見あげてごらん夜の星を」を何人もがリレーして心をこめて歌うサントリーのCMだ。今の状況に感応し,人々の心のニードをつかんで,健康な心を励ますメッセージをシンプルな作品に託したセンスを,秀逸だと思う。寿屋宣伝部以来の伝統は健在なのだ,と思うと,じんとくるものがある。決してしつこく流されなかったのもすごい。サントリーはわかっているのだ。もう一度聞きたいと思うが,今はもう流れていない。しかし,しっかりと耳には残っている。そして,帰りの夜道などつい口ずさんでいるのである。

No.41

2011年3月某日
 今はどんな形容詞も付かない。過去形で語ることもできない。危機はなお進行中なのだ。予断が許されない,ということを,これほどまでリアルに感じたことはない。言葉を弄している場合ではない。その一方で,今こそ,正しく確かな言葉がほしいとも思う。ここには,2011.3.11とだけ記す。この日付を忘れることは決してないだろう。
 14時46分,私は車を運転中だった。新学期の採用品注文を取次に納品した後,出張校正して下版データを受け取るために,飯田橋方面へ向かっていた。東池袋の高速道路高架下の道。止まらない揺れに異変を感じて停車した。前の車もハザードランプを付けて止まった。激震はその直後に来た。前方右上,いま思えば道路の継ぎ目からなのだろう,砂煙とともに砂利が降ってきた。道路が落ちる恐怖を覚え,車を出て歩道に逃げた。初めて経験する揺れの大きさと,いつまでも静まらないことに,只事ではないと覚った。しかし,伝えられる事実は想像を絶する。
 その夜テレビの映像をみたとき,しばらくは不安よりも思考停止。感嘆詞のみ,名付けられない感情がこみあげてきた。少し冷静になって考えられたのは,無力な一個人でも,この事態に関心を注ぎ報道をみつづけることはできる,ならばその役割を果たそうということだった。報道の使命は1人でも多くの人がみることによってこそ支えられるものだろう。一晩中,すべてのチャンネルを切り替えながらみつづけた。以来,できる限りそうしてきた。そうすると,みえてくることも多い。支え手はまた監視者の目をもっているということだ。毎日,仕事中もつけっぱなしにしてきたが,1週間経つと民放の番組表はほとんど平常に戻り,10日経つとNHKもそれに近くなり,スイッチを切った。被災状況はまだ拡大しているようなのに,ニュース価値が低くなったということなのか。ここはニュース価値ではなく,報道を続けること自体が被災者支援なのだという観点で,非常時の放送のあり方を考えてほしいと思う。飽きやすいのが人間,省みて自分もその例外ではないけれども,それに迎合することをマスメディアには求めない。そこを思い違えないでほしい。眠りこけないように頬っぺたをひっぱたいてほしいというニードだってあるのだ。
 もちろん,いつもどおり仕事を果たすしかないと思う気持ちも強い。しかし,落ち着いて集中できてしまうほうがこわいとも言える。こんなときに仕事の能率を上げてどうする。ミスを出さぬよう粛々と,それだけで一日一日過ぎている。
 6階にある我が事務所は足の踏み場もない惨状だったが,この大震災のなかで被害だなんて思えない。車で帰れたことも「よかった」と思うばかりだ。すべてを失った被災者の方々が,悲しみ嘆くことよりも,静かな噛みしめるような言葉で,命が助かったことの幸運を語るのを聞くと涙が出る。どん底にあってなお前向きな,かつ謙虚でさえありうる態度には,むしろこちらが勇気をもらった気がする。また,人々に避難を呼びかけながら殉職した消防団員や役場の放送嬢がいた。それに,いま極限の中にとどまり奮闘する医師,看護師ほか多くの人々がいる。人間の底力ということを思う。人知を超えた災難にも打ち負かされない希望は,それをおいてありえない。
 それに引き比べて,為政者や専門家らしき者たちが科学を騙って希望的予測を垂れ流し,裏切られつづけた原発事故処理の危うさを思わざるを得ない。想定外の一言で免責される話ではない。ここでも希望をつないでくれているのは,危険な現場に入り職務を果たそうとする人間の存在なのだ。私たちは安心のご託宣を求めて喚く愚民ではない。心配し,彼ら前線の兵士の勝利と無事を祈り続けている。
 大震災発生から2週間経った。なお地面は毎日揺れている。それよりも,人間がもたらした災害の先が,まだみえないなかにいる。

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