編集雑記 No.1〜20
No.20

2009年6月某日
 ホームページを小改装した。月1回の更新を決めて再出発した昨年4月以来、この雑記を書くことも含めて、どうにか自分への約束を守っている。主観的には好きな仕事なのに怠け心も旺盛な私にしては上出来、good news に数えておこう。
 現在、製作進行中の新刊予定はない。営業・販売は休みなしだが、ノルマはわずかな請負仕事のみ。たまった資料を読んだりアタマを整理したりしている。
 もちろん原稿催促を忘れてはならない。しかし、催促下手。これだけは先輩としての経験談をひとつも語れない。編集者として致命的弱点をひきずっている。今ではその理由もよくわかる。駆け引きができない、ということなのだ。商売下手に通じることで、営業活動のなかで何度もそれがだめな自分を思い知らされている。自己分析もできているが性格改造は今更手遅れだろう。ただ待つ忍耐力だけがついた。何の自慢にもならない。
 そんなこんなではあるが、創業以来もっとも落ち着いた日々を過ごしているように思う。これが余裕の“充電期間”なら言うことないのだが。赤字の現状では、生産高を上げないと危ないと思う反面、拙速は逆効果、負のスパイラルに陥る可能性もあると考えて消極策を選んでいるまでなので、実のところ、心許ない日々でもあるのである。ふと、「がんばらない、でも、あきらめない」という言葉が浮かんだ。この絶妙なメンタル・バランスを保てればよい。

No.19

2009年5月某日
 すぴか書房の最初の本2冊の発行は2004年5月1日だから、満5年になる。時の経過のはやさをなげきたくなる老人特有の実感に襲われるだけで、記念日的感慨はまったく催さない。前回記したような経営上の問題に頭を押さえられているからだろう。創業のころは、5年続いたら「祝杯!」と思い、冗談めかしては人にもそう言っていたのだが。
 5年というのを意識したのは、出版界の大先達が、生き残るのが容易ではない出版業、その興亡の激しさについて書いたエッセーの中でこんなエピソードをつづっていたからだった。‘・・・・創業して間もない友人に向って「5年続いたら祝杯をあげよう。」といったことがある。それは・・・・・・・・それを試練期間として、大いにやることを励ました言葉であった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・彼は意欲をもやし、胸を張り、「よし、かならず君を招く。夜を徹してでも飲もう。」といった。しかし、その後、お互いに期待した好機は、ついに来なかった。’と(布川角左衛門著『本の周辺』所収「出版業の諸相」)。半世紀以上も昔の話である。本や出版という形態の存続や変容が問われているような出版の受難時代ではなかった。読書人口の拡大も疑う必要はなかった。今も昔も編集者の仕事なんて好きでなければ割の合う仕事でないのは同じでも、成功を夢見ることができたから皆起業したのだろう。だから、出版業は‘幼児の死亡率が高い反面、出生率もまた高いというわけである’と、布川さんは書いている。さて、今は? 統計資料が手元にないので確かなことは言えないが、出生率のほうはずいぶん低下しているのではなかろうか。
 半世紀前、誰が今日の状況を予測しただろう? 変化こそ生きているということの必然だということは承知している。夢はその先に見るべきなのであろう。しかし、私の心が共鳴するのは、半世紀前にあったであろう見果てぬ夢のほうなのだ。


2009年5月某某日
 映画『グラン・トリノ』を観た。何の先入観もなく、近くのワーナーマイカルシネマの夜の回に飛び込んだのだが、堪能した。映写機を通したフィルムの映像自体に心が反応しているのがわかる。少し色あせた色調。昔々の木村伊兵衛の口ぶりを真似て「オツなもんです」とつぶやいてみたくなるような。出版の世界では、こういう味を出している写真集を見なくなった。グラビア印刷の衰退が関係しているのだろう。活版もグラビアも見る見る駆逐されてしまった。デジタル化一辺倒、フィルムレスで便利になったと言うけれど、その中で貴重なもの(データに表わしにくい何か)を失うとしたら、一概に印刷技術の進歩と言ってしまっていいものか? 映画の世界も技術革新の中にあるのは同じはず。しかし映画はよくがんばっていると思う。CG特撮などが進む一方で、フィルム文化として存続し続ける意志は健在なようだ。手描きの工房によるアニメ新作もつくられている。「手描きでなければ出せない味がある」と作者は言う。巨大モニターを設置した映画館でデジタルハイビジョン映像をみせること(映画のフィルムレス化)も現に始まっているらしいが、そもそも映画館が生き残っているのがうれしい。産業の姿は変貌し、映画会社に昔日の面影はない。しかし、映画人(つくり手も観客も)は廃れていない。
 『グラントリノ』の舞台は自動車産業の凋落とともに寂れ荒んだ街。現代アメリカの一断面。そこに独り住み続けながら、時代への順応を拒み苦々しさを隠さない反時代的な老主人公(彼の中では悲惨と栄光が刻まれた歴史が継続している)。彼を介して社会、すなわち人間の荒廃ぶりを見つめ、それでも一縷の希望を次代へ託そうとした映画だと言えよう。ぎりぎり考え抜いた、最後の選択。人間としての決着。
 緊張をほぐすように、エンディングシーンがテーマソングとともにゆっくりと流れる。クレジットの最後の一行が消えるまで席に体を沈めて観おわった。監督・主演、クリント・イーストウッド。勝利の解放感を封じ込め、薄っぺらな感動を拒否する勁さは変わらない。
78歳、現役。しびれる。

No.18

2009年4月某日
 3月はささやかながら新学期の採用注文が入って、来月はその入金がある。それで当座食いつなぐ目途がたったが、その先はあてがなく、このままではジリ貧必定。皮算用を何度試みても結果は同じで、経営状態は心細さを増している。底をつきかけた預金通帳をながめて思案する回数がふえた。我ながら侘しい風景だ。
 会社を始めて早々の赤字は当然のことで、以前は税理士からプロの目で健全経営と言ってもらえたこともある。当時の主な現金収入源は編集のアルバイト。出版点数をふやしていけば自然と売上も上昇して、いずれ黒字に向かう予定(だった)。もちろん捕らぬ狸の皮算用だが、その可能性を頼りに出発し、出版点数も2桁に届くまで来たのだから、それがいけなかったとは考えない。
 問題はただひとつ、売上が足りない。まったく売れないとは言わない(それならとうに破産で問題にもなるまい)。売上不順、トータルすると期待には遠く及ばないと言えば正しい説明になるか。この間本業に傾注してアルバイトを減らした分、収支のバランスを悪化させたわけだ。この渋い(苦いのとは違う感じ)現実の打開策をどこに見つけるべきか?
 人からは売れる商品を作れ、そのためにはマーケティングが重要だと言われる。一般論として認めても、そのとおり動けない私がいるから困る。販売実績は、本に対する私の商品価値判断と読者多数のニーズが一致していないことを示している。そのエビデンスは、マーケティング主導の売れる確率の高い企画でなければだめだと告げているのかもしれない。しかし、それは大出版社が皆すでにやっていることではないか。同じ戦略で競争に臨んでどうなる? 第一に体力でかなわない。経験的にも重々教えられていることだ。
 創業時、すぴか書房はOriginal Publisherの理念を掲げた。今もそれを標榜している。そのこだわりを極小出版社を続ける発条にしてきたのだ。EBP(evidence-based publishing)を志したのではない。この初心は、単にきれいごとの精神主義でなく、展望はその先にしかひらけないと思い定めた、現実的な方針のつもりだった。その下で著者や読者との関係が築かれてきたし(少なくともジリ貧ではない!)、認知度も上がった。希望の芽も育ちつつあるのだ。ここは堅忍不抜を自らに課す。
 出版方針を変えることがないとすれば、営業・販売面の方策でできることをしてみようと思い、今回、取次の口座をふやすために動いた。実は以前からの懸案でもあった。建前では、流通経路は取次会社の間でつながっているので、鍬谷書店1社に卸すことで本は全ての書店に流れるわけなのだが、どうも実際はこちらの思う理想と違っているらしい。新しく口座を開いたのは神田の西村書店。鍬谷・西村の取次2社で、少なくとも専門書店はすべてカバーされるとのこと。販路拡大に伴って事務・経理の手間もふえるが、それ以上に売上向上への貢献を切に願う。

No.17

2009年3月某日
 花粉で鼻が通じない。思考力が落ちるし、パッとした話題もなく、今年も春は憂鬱だ。どこに顔を出しても、枕の話題は不況問題。「出版は不況に強いと言うけれど、どう?」なんてふられても、いい話がある訳ない。もうずっと前から構造的な出版不況が深刻度を増しているのだ。景気が好いときには出版景気など見向きもされない。バブルの頃は派手な出版も目についたけれど、出版で儲けたというよりは、他で儲けた金の使い道として出版があったというのが実態ではないか。本業の広告費と比べれば安いものだったのだ。その上うまく当てれば儲かるかもしれない。たぶん、自立的出版の斜陽化はそのなかで始まっていた。
 決定的な潮目はやはり技術のデジタル化、パソコン、インターネットの席捲だろう。第三次産業革命はどこへ向かっているのか? そこに夢をみられないのは旧人類の悲しさか。「三丁目の夕日」を懐かしむこころもいつか廃れてしまうのか? そんな近未来には、本は情報革命以前の遺物として、博物館の陳列ケースに収まっているかもしれない。私が考えるのは、電子ブックがどうのという話とは関係ない。新しい手段によって便利な機能が実現する。そのこと自体は人類史の必然で、つべこべ論評する気はない。機能とか手段としてみるのではなく、具体的に印刷物として存在する本を擁護したい。その気持ちに素直に従って考えたいのだ。表紙があり、厚み、重み、手触りを感じさせる。手垢の着いた辞書。愛読書の並ぶ書棚。積ん読でもいい。手に入れる苦労と所有する満足。本というものの形態が担ってきた出版文化そのものが危機に瀕している。
 書棚をもたない家が増えているらしい。それが目の前の現実なのだ。ネット書店とリアル書店の両立はこれからどうなるのだろう。最近の大きな書店では、立ち読みならぬ座り読み用の椅子が用意されている。まっとうなサービスと言えるのかどうか、はなはだ微妙だ。先日ジュンク堂で、何冊も膝に置いたまま鼻提灯をふくらませて居眠りしている人を見た。鼻水がいつ落ちやしないかと気が気でなかった。立ち読みのついでにケイタイのカメラで頁を写す輩もいる。無断コピーの著作権侵害以前に、万引きに類するルール違反だろう。しかし、悪びれた様子もない。そのことに文化の崩れをみるようで、憮然となる。
 グーグルがブック検索サービス開始のニュース。世界中の全書籍の全文テキストをデータベース化してインターネットで読めるようにするのだという。「『黒船』グーグルの攻撃」とは新聞の見出し(日経3月24日朝刊)。出版界にとってはまさにその通りで、この先「開国」しか道はないのだろうか? 出版産業は淘汰の嵐に見舞われ、時流に乗るものだけが勝ち残るとすれば、そのとき出版文化はどのように変容、変質しているか?
 一人出版社がいくら保守的な心配をしても、蟷螂の斧にもなるまいという自覚はある。しかし、本とは何か、なぜ本に愛着をもつのか、ということを常に考える。そうでなければ、儲からない出版を続ける気力が失せる。

No.16

2009年2月某日
 正月以来のドタバタも鎮まり、平常心にて平常勤務。日々の仕事は相変わらず、主観的には9割が雑務で埋まる。出版点数が増えている以上、編集外雑務が減るということはない。仕事は増えても収入に直結しないのが辛いところ。出て行くお金は容赦ないが、売り上げはなかなか期待にこたえてくれない。取次から注文が入り、段ボール3箱に収めて届けたら、返品も3箱待っていた。いくら理不尽でもこれが出版業界の常識、めげてはいられない。笑って受け取ってくるものの、帰ってからの返品整理は気が重い。なかには、なんでこれほどというくらい痛めつけられて戻ってくる本もある。表紙が傷つき汚れた“棚ズレ品”は再出荷できない。廃棄するしかない。しかし、自分の手で出した本には情が移っていて捨てるに忍びない。以前『捨てる技術』とかいう本がもてはやされていたようだが、読みたくもない。「とりあえず保管」のスペースを工面しつつ、無駄にしない方策はないものかと未練がましく考えている。もう限界がみえている。やがて廃棄執行の日を迎えるだろう。それまでは急がない。整然と積んでおいてあげよう。

No.15

2009年1月某日
 正月明けからトラブルが重なった。幸い最悪の事態(何事が起きたのか説明は憚る)は回避できてほっとしているが、この間、心身相関的ダメージを防げず、ついには5年ぶりに痛風が騒ぎ始めたのには相当めげた。これまで、出たとこ勝負の能天気路線でストレスフリーを気取っていたのに、神経の脆弱さはそのままだったし、想定外の事態に際して対処能力の不足を露呈してしまった。そんなときを狙うかのようにパソコンがダウン。そのうえFAXの不通が判明。昨年末から受信障害が続いていたらしい。復旧作業は消耗なだけで、学べたことは何もない。
 日常生活を振り返ると、究極のところ思考停止の運まかせだ。地震は予知できても予防できなければ仕方ないと思ってしまうし、未然の対策には真剣になれない。まあそれが普通だろう。あまり用心深いより、備えがなくとも憂いなく生きるのが、むしろ健康ではないのか。アリとコオロギなら自分はアリのほうだと思っていたけれど、だんだんとコオロギ的楽天主義を暖めるようになった。生き方の問題に限れば、それでよいと思う。取り越し苦労はやめた。
 しかし、仕事は別だった。必ず対他者関係を含むのが仕事なので、そこには責任が生じている。冷や汗をかき、心身変調をきたしたのは、明らかにその責任意識と関係している。放置するわけにはいかないのだ。そして、運まかせ天まかせを言えるほど、怠りなく、手抜きもなかったかと自問すれば、やはり油断があったという反省もでてくる。
リスクマネジメントということになるか。慣れること、急ぐこと、能率を上げることに潜むリスクを認識しないと危ない。能率ではかってはならないルチーンをしっかりと見分けて、それを守るのがプロの仕事人なのだということを肝に銘じよう。

No.14

2008年12月某日
 残り少なくなったカレンダーを眺めて意気消沈。新刊刊行後には取り掛かるべく意識していた懸案事項のすべてが、手つかずのままになっていて、来年へ先送りすることに、どこか後ろめたさを感じている。こんなペースを来年に持ち越すのはよくないなあ、と思う。無為に過ごしたわけではない。毎日、目の前の仕事をこなしてはいたのだ。しかし、優先順位どおりだったかと、いま自らに問えば、心的エネルギー負担の少ない単純で手をつけやすい仕事に逃げていた気配がある。人間は自分に甘い。このような逃げの自由度が高いことが、1人会社の大いなる弱点だ。
 体調の影響も少しはある。高熱で3日ほどダウンした。人混みに出ることもないのでインフルエンザは考えにくい。1年分の過労を調整するための生体反応だったのだろう。それでも出勤だけはした。平日、会社を休業にはできないという気持ちになっているのは、自分でも驚きだ。サラリーマン時代、病気で休むことに抵抗はなかった。多少は仕事の都合も考慮したが、それほどの要職ではなかったので、同僚に風邪をうつしたらはた迷惑くらいに思っていた。環境が人を変えるというのは本当だ。
 体調を崩してからでは遅いのだが、健康第一、倒れたら一巻の終わりだという絶対条件を改めて思った。再起など考えられない。病気には事欠かない人生で、何回か手術や入院も経験している自分が、創業以来、老化現象は別にして、不思議と快調を維持してきた。ストレスをためる暇もなかったからだと言ったら、冗談に聞こえるだろうか? 案外そんなものではないかと真面目に思っているのだが。
仕事人間の自覚はない。ワーカホリックの心配も無用。仕事を放り出して遊びたい気持ちはずっと健在なのだから。では何が問題か。忙しさの何割かは要領の悪さに起因する。そして、つくづく思うのが「休み下手」だということ。で、溜め息ばかりついている。
 そこで気づく。冒頭に述べたような状態は、渋滞を起こしていたのだ。発散せずにくすぶり続け、なかなか抜けられない。渋滞はストレス源。それでも進んでいる、なんてケチなことを思うな。全体論的には明らかにエネルギーの浪費なのだ。その前に休んだほうがずっといい。一年の締めくくりとしては情なくもあるが、上手な休み方を身につけることを来年の課題にする。

No.13

2008年11月某日
 2008年11月某日 目録をつくった。もうすぐ出来上がる新刊『考えるがん看護』に差し込むことを思い立ち、急遽取り掛かったもの。第1号、来年1月の日付でCatalogue,no.1と記した。A5判4頁(すなわちA4用紙1枚表裏)分の原稿をWORDでシコシコ作成、それを「すべて埋め込み」のPDFにして、完全版下データとして印刷所に渡す。組版を印刷所に委ねて仕上げたほうがきれいにできるのは承知しているが、PR用途の見栄えにこだわる余裕がないということのほかに、自己流の手作り感覚も捨てがたく、家内工業・すぴか書房にはふさわしいようにも思えて、これでよしとした。刊行案内のチラシや学会誌などへの広告出稿も、今まで皆それで済ませてきた。その種の仕事をデザイナーや製作会社に外注していたら、早々に首が回らなくなるだろう。顧みて、1人のbest effort路線の堅持は間違っていないと思う。先の展望? 妄想は慎むようになった。
 InDesignとかいうDTPソフトを使えばスイスイはかどり、完璧らしい。アドビのパンフレットを眺め(学習も経験もないので意味が読み取れないのだ)、割引購入の勧誘を受けたりすると気持ちが揺れる。しかし、そのソフトに習熟するためには、どうしてもそれだけの時間が要る。本来の編集実務への仕事時間の配分が慢性的に不足している現状では、総合的に考えてDTPは外注で、と考えている。
 私のパソコンにはIllustratorもPhotoshopも入っていない。たまに不便を感じないこともないが、間に合っている。いや正しくは、間に合わせている、あるいは遅れているだけかもしれない。拒否ではない。仕事を通して世の中と関わっている以上、自己満足が自分勝手になってはいけない。「間に合わせ」が消極的意味しかもたないと判断したら、君子豹変すべし。
 その信念に迷いはないが、今の時代、実際のところ、流れに乗りながら流されないで生きるのは至難の業だとも思う。「流れに乗り遅れるな」「早い者勝ち」の強迫にあふれ、その対極には負け組の諦めや、欝的な失調があるだけ。ダイナミズムが失われているようなのが怖い。そのなかで、自らのオリエンテーションやいかに?
 流されるにしても、抵抗しつつ流されていく自由はある。絶望的な希望でも、ひとすじの希望ではあるだろう。

*目録(Catalogue,no.1 2009.1)に掲げた御挨拶を転載しておく。
「創業5年目を迎えました。光陰如矢。まずは、不景気風吹き荒ぶなか極小出版社が存続できていることに感謝。本の力を信じて痩せ我慢を張り通しているまでですが、それも読者をはじめ多くの支えがあればこそ可能なこと、そのように社会的に生き、生かされているのだという自覚を新たにします。ようやく発行点数が2桁に届きました。目録と銘打ったものの、第1号はたった1枚に収めた簡易版です。さらに、個性的な一点一点の出版に努め、目録の価値を高めていきたいと思います。今後ともすぴか書房の本にご注目いただけますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。」

No.12

2008年10月某日
 原稿をデジタルデータでいただくことが当たり前になって、原稿整理するより先に入稿する(原稿を印刷物にする製作工程にのせること。かつては、それ即ち印刷所に原稿を入れることだったのでそう言った)ということが起こっているらしい。そのほうが早いし、校正刷を読むので同じだという理屈だろうが、仕事の本質に関わることのように思えて、安易に肯定したくない。こうした「合理化」の誘惑と、それに対する抵抗感にどう処すべきか。順応を一切拒否する頑迷固陋な保守主義でなく、リベラル保守を任ずる者として、ずっと気になっている問題だ。
編集者として最も大事な仕事は何かと問われれば、原稿を読むことだと答える。「わかる」ためにだ。この「わかる」にはわからないことをわかるということも含まれる。わかりたいのが人間の自然だろう。わからないことを強いられるのは奴隷に等しく、職業人の仕事ではない。わかりきったことはつまらないし伝える価値がない。自分にまるでわからないことを世に出すのは無責任だ。
 読みながら同時に原稿整理の目がはたらくのは、編集者の性と言おうか。虚心坦懐な読みを妨げるようで邪魔なこともあるが、原稿を広げるときは必ず鉛筆を手にする。原稿整理は誤字脱字のチェックや見出しの調整など、本となる材料をそろえて扱いやすいように整理することで、原稿を製作のベルトコンベアに乗せる前の関所の仕事と考えればよい。それにフォントやレイアウトの指示が加わって製作工程に移る。教科書的な説明では、原稿入手→原稿整理が各1ステップで進んでいる。しかし実のところ作家の原稿でもない限り、そんな風にすっきり進むことはまずない。最も時間を費やすのは原稿が完成に至るまでの著者とのキャッチボールだ。整理する目で読むと、さまざまな疑問点が浮かんでくるものだ。文章の修正案を示し質問やコメントを返す。その結果、全体が書き直しになることもある。修正のたびごとに原稿整理を繰り返す。つまり、入稿前に何回も原稿を読むことになる。このように時間をかけるのを無駄と考えるか、必要なこと(とまではなかなか思えないが、引き受けるべき仕事、少なくとも無意味ではない)と考えるか。冒頭の問題はそこに帰する。
 経験から想像するに、入稿以前に原稿として読むのと、校正刷の形にして読むのとでは、読み方が違ってしまうように思う。後者の場合、製作の段階に一歩進んだ気になるのは否めまい。製作モードに入ると、仕事は量に換算でき、がんばって先を急ぎたくなる。著者も同じで、余程でなければ書き直しなんてことはないだろう。そうなら進行は早い。しかし、それをただ喜べるか。手抜きの言い訳になっていないか。余計な手はできるだけ抜くのがいい。ただし、目に見える成果がそればかりでいいのか?必要な手をかけることへの関心が薄れていくことを憂える。

No.11

2008年9月某日
 秋になると待ち構えている大仕事、“常備セット”づくりが終わった。すぴか書房の本を1年間切らさずに常備することを希望してくれた書店が常備店で、今回取次から渡されたリストは63店。予備がプラス3、計66セットを納品した。1セットの中身は、残部の少ない1点を除く発売中の書目11冊。それを各常備店へ配本するために、小さな段ボール箱に詰めなければならない。いざ必要となると、ぴったりサイズの段ボールがない。特注すれば簡単だが、それは大会社の発想というもの。なんとか間に合いそうな既製品をインターネットで見つけて発注した。もちろん、その前に倉庫を往復して66×11冊を揃え、その全部に常備用の短冊(取次作製)を差し込むという作業がある。
 社員1人には余裕の社内スペースでも、700冊を超える量を処理するのはとても無理なので、取次(鍬谷書店、板橋営業所)の作業場を借りた。1人で、というのも辛すぎる。書店員の経験のある人に応援の手を借りた。これまでも返品の山ができると来てもらっていた心強いサポーターだ。チームだとどんな仕事の山でも「よーし、やるぞ!」と気合が入る。息が合うと気分よくはかどる。段取りの重要さ、主体的な分業が能率を上げることも身をもって知る。そして、1人だと労役と受けとめるかもしれない仕事が、人間的な喜びをもたらす労働になるのだ。丸々2日を要し、「お疲れ様でした」と杯を合わせた。
 発行点数が数冊でしかなかった頃は、1人でいそいそと作業して、たいした苦もなく終えていた。大変だと思うより、書店に本を置いてもらえることの嬉しさに浸れた。そんな牧歌的な頃を思うと、ずいぶん発展したわけだ。しかし、これ以上、これから先どうなる? どうする?
 対策を迫られているとの冷静な認識とは裏腹に、どうも深く考えられない。先手を打つような行動が起こせない。依然として、先があるかどうかのほうが喫緊の問題なのだ。たぶん、これからもずっとそうに違いない。先日、出張先の学会でお目にかかった看護界の重鎮K先生が「よく続くわね」と笑顔で声をかけてくださった。意味深長ではあるが、単純に「続けたい」と思う気持ちに従うまで。残念ながら、実績を顧みると自信はしぼむ。しかし、その場しのぎを繰り返す経験のなかで多少は鍛えられたし、覚悟のようなものもついたように思う。どんな精緻なシミュレーションも未来保証にはならない(最近の世界経済の混迷ぶりを見よ)。起点は自らの意志。自然体でいきたい。

No.10

2008年8月某日
 8月は学会シーズンでもある。それに合わせると夏休みどころではなくなる。今年は世間並みにお盆の時期を休業にした反動で、その前後はハードなスケジュールになった。猛暑に負けそうな気持ちを何とか抑え、出展した学会にはできるだけ出向くという“社”の方針に自分を従わせた。無理、無駄が多いとも感じているが、そのように至上命題として課さないと、引きこもりに逃げがちな愚図な自分を動かすことはむずかしい。手近な仕事はいくらだってあるし、外向きな気力が自然とみなぎる歳ではない。敢えて意志しなければ、しぼんでしまうだろう。
 情報だけなら、近頃は座っていても処理しきれないほど集められる。しかし、取材記者と違い歩くことが最優先とは考えないが、自らを動かし、目で見、耳で聞き、からだで感じるリアルな認識を経ることが、具体的なものづくりの要諦だと思う。情報に溺れると消耗する。アイデア倒れの山をいくら築いても仕方がない。
 出張は、いったん出てしまえば、移動も、枕が違うことも気にならない。早くて安いのには抗いにくいので困るが、飛行機は好きじゃない。列車で、入れ替わる景色をぼんやり眺めるのは無上の時間と言ってよく、5時間くらいは平気だ。読書もはかどる。余程でなければ出張先に別の「社内業務」は持ち込まないので、残業から解放され、むしろ心身が休まる。一杯やればすぐ眠れる。いい息抜きにもなっているのだ。
 今週は2つの学会を掛け持ちで、関西から四国を回る4泊5日の出張。今はその最後の夜を過ごす宿にいる。部屋のテレビで、オリンピック陸上男子400メートルリレー、日本チーム銅メダルの快挙を観戦した。その後、床に寝そべってこれを書いている。
 気がつけば月末も近い。雑記は夏休みでいいか、とも思ったが、いやいや雑記に休みはありえない。と言うより、そもそも休むことが雑記の意味なのだった。書く内容に意味があるなどと思い違えてはいけない。流れ流されていく日常に句読点を打つ、あるいは休止符を入れるという効用が第一。無用の用を信じよう。成果主義では測れない我が出張も同じことか。ということで、今回の出張の成果は、などと野暮は記さないで筆をおく。
 窓を開けると、夜風が肌寒いほどで、夏も終わりに近いことを告げていた。

No.9

7月某日
 7月も半ばを過ぎた、ということは今年も残すところ半年を切ったわけか、と溜め息をつく。小社の期末は7月なので、また雑事がふえる。残念ながら黒字の心配をする必要はなく、身ぐるみ税理士さんに任せて指示を待つだけではあるが。仕事は増える一方で、編集本来の仕事に割く時間が減りつづけ、デスクワークが遅れる。この問題にうまい解決の出口は見つからない。それでも今期は『患者体験に学ぶ乳がんの看護』『認知症高齢者のリスクマネジメント』『看護をとおしてみえる片麻痺を伴う脳血管障害患者の身体経験』『暴力と攻撃への対処』の新刊4点が出た。総点数も2桁に到達。一応「よし」とふり返るのだが、実のところ、刈り入れ時が重なり、遮二無二対応した結果の今期4点なので、これから先が心もとない。産業モデルが農業に近いオリジナル出版は、種まきから始めて、今の仕込みや手入れを怠れば、先の実りはないのだ。
 農業にならうなら、農民のような勤勉さで日々の仕事に励み、収穫を終えたら農閑期、からだを休めて英気を養うという生活の理想型を思い描く。しかし、それははるかに遠い夢であって、労働実態は、繕っても繕っても浸水してくるボロ船に乗った船員のようなものだ。ひたすらこぎ続けている。休みはなくとも、シジュフォスの労苦と違うのは、初めて味わう航海の楽しさがあるからだ。海の民は運を天にまかせて楽天的だという。近頃は自然と、そんな生活信条が身につきつつある。
 去年のいつだったか、中島みゆきの歌う「宙船」が突然耳に入ってきて、どやしつけられたように全身が感応した。「その舟をこいでいけ、おまえの手でこいでゆけ・・・」たぶん四捨五入すれば同世代の彼女が発するメッセージが直接胸に届いた。プロの歌にはそれだけの力がある。そして大事なことに気づいた。そのパワーの源泉は、彼女がメッセージを待つ心の存在を信じて歌っていることにあるのではないかと。ヒットねらいの色気ではない。本気なのだ。常識的な理解から外れるかもしれないが、いつだって真理は逆なところにある。出版も同じこと、プロとしての本づくりであることを忘れてはならないと思った。本気が問われているのだ。来期へ向けて改めて銘記しておこう。たたいても精神論しか出てこないことに苦笑しつつ。

No.8

6月某某日
 先週末の21・22日、日本精神保健看護学会(於:東京女子医大)に出展。独立スペースをいただけたので、直売する。つり銭の用意、その他諸々、なれない準備に汗をかいた。これまでの経験から学んだ必要物品に加え、ああすれば、こうすればといろいろ思いつく。前日深夜ギリギリまで作業のけりがつかず、荷を車に積む頃には日付が変わって、すでに当日。梅雨空の朝8時、助っ人のアルバイト嬢も乗せて和光市を出発。自分の店の設営をままごと気分で楽しんでいると時間はすぐにたち、早い来場者が集まりはじめたので、なし崩し的に開店となる。
 今回の目玉、新刊の『暴力と攻撃への対処』はまさに出来たて。著者の岡田氏が我々を待ち受けていた。包みを解いて完成した本を手渡す。初対面の一瞬、著者に気に入ってもらえる出来栄えかどうか、勝負というか、こちらは初演の幕開きに臨む気持ちだが、彼は愛おしむように本を撫で、頁をめくり、本の“感触”を味わっているようだ。そして笑顔で応えてくれた。よかった! 岡田さんは、購入者の求めに応じてサインをされるなど2日間目一杯お手伝いしてくださり、販売促進に貢献された。ありがとうございました。
 新刊は多くの人が手に取り、その反応から、読者の心に届いているとの手応えを得た。
 営業や販売の人が言う「売れるのがいい本」「いい本は必ず売れる」に対して、大きな声では言えないけれど、「いい本が売れるとは限らない」が編集者仲間に共通の思いだろう。私など、さらに予防線を張って平静を保つべく、「いい本は売れない」と言ってしまいたいほど。もちろん、そんなのは操作的定義の問題であって何の意味もない。しかし、今度はそんな不安も吹き払えそうだ。
 全体の販売成績にも満足。前回の大阪に続いてだから大いに励まされている。買ってくださる読者がいるからやっていけるという当たり前の事実は、重く深い。
 私のセールストークは読者との交流意識が勝って、つい話し込んでしまうことが多い。それが「お買い上げ」につながる実績は少し誇っていいと思うのだが、弱点も明らかになった。値段の計算が滞るのだ。おつりも間違える。まだ歳のせいにはしたくない。しかし、自分でもなぜ?と思うほどで、冷静なアルバイト嬢に助けられた。1人だったらどうなっていたことか。今後のために総括が必要だろう。
 あとで、おつりの千円が1枚多いのではないかと返しに来てくださった若い看護師さん。善意が沁みました。ありがとう!


2008年6月某日
 2008年6月某日 次の新刊『暴力と攻撃への対処』がやっと我が編集・製作の手をはなれる。あとは印刷、製本、出来上がりを待つだけだ。 今日はその最後、表紙の印刷に立ち会って刷り出しチェック。OKを出して持ち帰った一枚を改めて眺め、会心の出来! と、しばし自己満足に浸った。
 装丁については、企画のスタートと同時にいつも気にかかっている。原稿を読みながら浮かんでくるアイデアをメモしたり、インキの色見本帖や紙の見本帖を取り出して、目星をつけたチップを切り取ったりで、原稿編集の作業はしばしば中断する。誰はばかることなくそうできるのは1人出版社の気楽さだが、二転三転、紆余曲折を経て最後はエイヤッと1つに決めるわけで、エビデンスも無ければ確信も無い。出来上がりを手にするまで、失敗の不安が付きまとう。イメージどおり実現させる適切な指示ができたのかどうか、自信が持てないからだ。そこがプロのデザイナーと決定的に違うところなのだろう。
 特に色の判断はむずかしい。本のテーマや著者に合った色味というのは、自然と感覚的に決まってくるものだが(著者に希望があればもちろん考慮する)、悩ましいのは、同じ色味でもバリエーションは無限で、見れば見るほど微妙な差を感じ取れてしまうからだ。見え方は光の種類や明るさによっても異なるし、受け止める感覚もそのときの心理状態に影響される。また、出荷後の色褪せも必ず起こる。そこまで見越しての色決めでありたいけれど、そこまでは読めず、いつも気がつくのは事後だ。
 表紙の色については、シンプルに2色で、を基本方針にしている。
 近頃はフルカラーが当たり前、書店の棚は色彩があふれている。それを尻目に、特色インキ2色=2版の可能性を追求する古典的作法を意識的に守っているわけだ。単にコスト節約のためでもなければ、懐古趣味でローテクにこだわっているのでもない。「方針」であり、それを主体的に選択するのであれば、個性の主張になるだろうと考えている。根が俗人なのを自覚しているので、「抑制の美学」とまでは気取れない。天邪鬼のやせ我慢といったところが実態に近い。

No.7

2008年 5月末日
 先週、日本精神科看護学会大阪大会(22〜24日)に出張した。会場での書籍販売へ出展できたので、取材活動は示説をざっとみて回っただけで、ほとんどの時間売り子(書店の手伝い)に立った。すぴか書房が送り込んだのは、ささやかに段ボール1箱半ほど。売れなければ場所ふさぎで、書店にはくたびれもうけをさせることになるので、最大限送りたいのを、見栄なのかプライドなのか、最小限プラスアルファを言い聞かせて箱に詰める本を選んだ。で、肝心の結果は「売れた!」のです。出張旅費に足を出さずに済んだのは久しぶりで、気持ちよく帰ってきた。
 新刊予定の『暴力と攻撃への対処』の発行が間に合わなかったのに、『統合失調症急性期看護マニュアル』と『精神科における病的多飲水・水中毒のとらえかたと看護』が昨年と同じくらい売れ、精神科専門ではない『臨床看護面接』や『認知症高齢者のリスクマネジメント』も買っていただけた(遠慮した数しか出さなかったので売り切れ)。箱の隙間を埋められるだけ詰めた『歯周病が治る歯ブラシ法』も。出版書目全11点、各2冊〜最大32冊出展したが、特筆すべきは万遍無く売れたこと。この学会の参加者の多数は病院の臨床で働く方々だ。手に取ってくださった人には声をかけチラシを手渡すようにしたが、耳を傾けてくださり、実際その場でのお買い上げも少なくなかった。現場を担う方々に選ばれたということが、何よりうれしい。
 学会展示は、各社の関連書籍がずらっと並び、一種の競売場と考えられる。そこでの成果を書店が評価し仕入れに反映してくれたらいいのに、と思うが、現実はそうはうまくいかない(ようだ)。(営業の世界は未知な領域なので)たぶん、販売は営業力に比例すると考えるのが妥当なのだろう。営業マンにしてみれば、それでこその存在意義なわけだ。書店の方からはよく「営業第一」の考え方を求められる。助言としてよくわかるのだが、自分の事情は自分がいちばんよく知っているので、曖昧にしか応えられない。原点を忘れず、身の程を知るなら、成り行きの営業努力を続けるという他あるまい。
 売る方策を考えるより、売るに足る一冊一冊の本づくりが先決なのだと、改めて気を引き締める。


2008年5月某日
 5月某日 看護協会の総会が近づいたので、会場に出店する書店に納品方法を問い合わせたところ「満杯」と断られてしまった。昨年までは会場での書籍販売は看護書を出版する数社でつくる協力組織が直接行なうかたちで、それ以外の版元は出展できなかったのが、今年から一般的な書店委託に変わったと聞き、学会での売上が比較的良好な小社としては、皮算用をはじきつつ、当然出展を希望したわけである。存在を知ってもらえる絶好のチャンスだし、何より今年の総会は地元埼玉での開催なのだ。説明を求めると、書店の判断で日頃付き合いの深い出版社に出展要請した結果、展示スペースがそれで埋まってしまい、他社の本を追加して並べる余地がもうないのだと言う。結果的に締め出されたのと同じで、釈然としない。零細出版社の僻みだろうか? それでは情けないし、からだにも良くないので、冷静に考えてみる……自由主義経済下における「公平」とは何か。例えば、出版点数や総売上実績(絶対額)に比例して売り場面積を与えることが公平な計算なのかどうか。早い者順はどうか。ゴルフのハンデのような考え方は、遊びではない経済競争においては全くの非現実的理想観念論になるのか? 書店が自らの営利、効率を求めるのは当然だ。その判断に口ははさめない。すなわち自由。もちろん判断を誤るのも自由だ。自由とはリスクを冒す自由に他ならない。しかしリスクは最小にしたい。大をとるほうが小より無難と考えるところに、多数決という考え方が根ざすのだろう。正解の保証はないが、人は一般に正解を求めるより無難を望む。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのは、笑うどころか空恐ろしい真実を衝いている。多数者は多数決を公平な原理と疑わないだろうが、少数意見者にとっても公平と言えるか、と考えると、実にムズカシイ。たぶん絶対的に公平なルールなどあり得ない。それを現実に求めるのは徒労だろう。今のところ確かに言えるのは、現実問題というのは、立場が変わる(変える)と、み方(みえ方)が変わるということ。そう言えば、出版点数の多い会社の本一点一点からみれば、1本の机に全部は並ばないので社内選別されて出展不可もありうる。すぴか書房なら机1本の半分あれば全点平積みできる。本はどちらの境遇を望むだろうか? 少なくともその点では、fifty-fiftyだと思っている。つい気張った言い方になるのが弱小の悲しさだが、その気概を失ったら独立した出版社とは言えまい。具体的局面における有利−不利は必ずある。運−不運も。それを見越して対処するのが経営ということになろうか。今回は、事前の読みが甘かったという反省を1つさせてもらった、ということにしておく。

No.6

4月某某日
 前回、書くことについて「能率よく書けたためしがない」ことをぼやいた。パソコンよりペンと紙が必要な旧人類だとも言った。それらを書けない理由にする気持ちなど無かったのだが、読み返すと、そのような言い訳をしているようにも読める。本意とずれるのは居心地悪いので、若干の考察を追加する。
 私は近頃の言葉でコンピュータリテラシーに長じていない。能率の悪さを笑われることもあるが、それと「書けなかった」こととは関係ない。実用文(書類)を作成する、あるいは情報を整理して上手にプレゼンテーションすることと、自分の文章を書くこととの間には、明確な一線が画される。前二者においてコンピュータリテラシーが有効なことは認める。便利な道具を使えないと「使えないヤツ」にされてしまいそうだ。しかし、後者の書くということは、独創を本質とする。それは内発的なもので、どんなITツールにも代替不可能な領域だろう。そもそもそれ自体、能率的であろうとすることとは矛盾するように思える。どうしても、実用から離れて頭を遊ばせ、自己内対話の時間をとることを要求するからだ。早(速)く能率よく考えを進めたいと思う。しかしそのベクトルは、広く深く考えるのとは方向を異にする。生きている頭の中では、押したり引いたり常にダイナミズムが動いている。矛盾が渦巻いている。それを外化し書き残すという行為、つまり自分の文章表現としてケリをつけるということは、矛盾のアウフヘーベンたる実践なのだ。
 言葉は単に記号ではない。文章は単に情報ではない。それとも、科学的論文はすべて記号、情報として書かれるべきなのであろうか? また、そう読み取るべきなのであろうか?
 編集者として、私は著者の意(こころ)をくみとることを第一に考えて原稿に向かう。背後にあるものを推し量りながら読む。著者への仁義のようなものだ。赤字がたくさん入り著者に戻されるのは、原稿を大切にすることの逆説的な現実だ。それが理解されないと厄介なことになる。赤字を入れる編集者は自らの読解力のレベルが曝される相互関係を思えば、謙虚になるのが自然で、偉そうな物言いはありえない。しかし無理解は著者、編集者双方にあり得る。いくつか話題が思い浮かぶが、逸脱するのでやめる。言いたかったのは、編集の仕事もまた能率一辺倒では片付かないということだ。そういえば、私が一目置いた先輩達はスマートな仕事ぶりを嫌った。余技に力を入れ、本気の仕事は隠れてするといった風情が魅力的だったのだ。いま会社(実業社会)にはどんな空気が流れているのだろう。私のような旧人類がますます棲息しにくいことだけは確かなようだ。


2008年 4月某日
 1年ぶりにこの“雑記”に向かう。その隙もないほど疾風怒濤の日々、勇ましく社業に専念していたと言いたいところだが、実情はさにあらず、むしろ些か情けない。毎日の雑用に追われる一人零細企業の必然的現実に体力・気力・脳力が負けて、筆を執る余力が無かったということ。逆に、雑用に負けない程には勤勉だったとも言えようが、そんな言い訳はむなしい。やはり、月1の定期更新を期して新ホームページをスタートさせたのだから、本欄を放置したままずるずると1年経ってしまった、これではいけない、との思いが残る。
 日録を残すつもりはない。私の中ではどういうわけか、書くという行為には、贅沢な時の過ごし方というイメージがある。一種のインテリコンプレックスなのかもしれない。一服する気分を入れないと、筆を執る(書く=パソコンに向かう、というシナプスは未だ形成されていない旧人類なり!)態勢にならないのだ。一過性に思い浮かんだメモの類は散らばっているのだが、執筆には至らない。時間を決めて能率よく書けたためしがない。
 適当に何でも書けると、逃げを打つつもりで“雑記”と名づけたのだが、甘かった。考えてもみよ、雑記中の雑記とも言える『徒然草』は超一級の文学作品ではないか。思うまま書きとばしたような雑文に、雑ならばこその噛みしめたい味が出る。それは余程の文章家の技なのだ。編集者の端くれ、そんなことはよーくわかっていたはずなのにと、遅すぎる反省というか、身の程知らずを恥じている。
 昔、雑誌をやっていたころは編集後記を書いた。義務だったのか、名前の出ない編集者のささやかな権利だったのか、校了近くなると、仕事だから仕方なくといったポーズで、時には印刷所の出張校正室で、まさに最後の最後に入稿したものだ。「終わった!」編集者にとってそれでその号のケリがつく儀式だったのは確かだ。終わらせるための儀式。終わらせなければリフレッシュはない。この出版ジャーナリズムにおける独特の慣習はどのようにして生まれたのか、興味深い。
 そうか、すぴか書房 の編集後記として書く必要があったのだ、といま思う。余技を気取って「つれづれなるままに」書くのではない、社会的メッセージの発信が目的でもない。毎月の更新は現在営業中のランプを灯すこと。大切な雑用、決められた仕事として書く。
「よし!」と前向きにうなずける結論にやっとたどり着けた。新学期には少々出遅れたが、仕切り直して本欄を継続する。

No.5

2007年 4月某日
 1970年代、この世界に職を得た頃、印刷のメインはもちろん活版だった。写真物ではグラビアも経験した。工場でみる技術は興味深く、見事に正確な機械に感心した。本も工業製品に違いなく、製作過程を学ぶことは編集者の必須要件だった。企画・取材や原稿整理にしても、行き着く先は印刷・製本で、本という最終形態をめざしてのことなのだから。印刷所に出向く出張校正の日は楽しみだった。仕事の仕上げにかかるだけでなく、物づくりの現場に立ち会う気分の高揚があったからだと思う。営業の言葉でなく、職人の声を聞き、インキのニオイをかいだ。……ここまでの過去形は、回想にふけるためではない。デジタル技術・コンピュータ化によってすっかり様変わりした今の現場について考えようとしているのだ。変わったのは印刷に限らない、著者の書斎や研究室しかり、取材方法、著者と編集者の関係もしかり。
 手段は変わっても本づくりの工程は本質的には何も変わらない、と少なくとも私は思って仕事をしているが、今時そこまでやる人は珍しいと言われることがある。こちらが非能率なだけで、そちらに迷惑をかけてはいないようなので、改めない。「ありがたい」と言われて真に受けるのは年寄りの図々しさ。一方、同輩編集者や印刷関係者との雑談のなかで「近頃の編集者は何もしない」という話がよく出る。「何も」と言うのは正確でないにしろ、そんなふうに編集者が変わっても、本はできてゆく。世の中一般が便利に流れるのと同様の進歩なわけだが、そこに、本の未来に関わる問題がありはしないか。
 編集プロダクション(通称編プロ)が実務を請け負ってくれるので、わからなくても困らない。となると、「わかる」のは余計なことで、広く深くわかろうとすることは、むしろ現実適応を遅らせ企業の生産性に寄与しないとみなされてしまうかもしれない。そうなってしまった出版の現場感覚を、うまく想像できない。職業アイデンティティはどうなる?
「わからなくてもできればいい」というのが最近の風潮だ。つまりは処理スピード優先。できてしまえばOK。……でも、それって、読書から遠ざかること、ひいては本の否定に行き着くのではないだろうか。「学びて時にこれを習う、また悦ばしからずや」の心が廃れてしまわぬよう、出版人としては、せいぜい反動的な気持ちを大切にしたいと思うのだ。

No.4

2007年3月某日
 『統合失調症急性期看護マニュアル』の教科書(?)採用の注文が入り、いそいそと荷造り、取次へ車で納品する。1、2月は閑古鳥が鳴いていて、暖冬をよそ目に寒い日々だった。新学期の影響なのだろう。営業の世界はこのように世の動きに連動しているわけだ。しかし、売行きに一喜一憂していては編集実務に身が入らなくなるので、早く切りかえて机に戻らなければいけない(仕事場は小さいながら編集室スペースと営業倉庫スペースに分かれている。電話とPCは共用、受けるのは1人なので大した意味はないのだが)。すぴか書房 の出版は、商品を他から仕入れるわけにはいかないのだ。頭では編集第一の方針は揺るがない。でも現実的な時間管理では営業優先になるのも動かない事実(「お客様は神様です」と三波春夫が言ったのはまさに本音だった!)。仕事としてどちらも面白いが、請求書の計算を何回も間違えたり(Excelで解決?きっと入力ミスで同じこと)、能率を要求される仕事には向いていない自分を確認するのは辛い。原稿を広げたデスクの前に座るとほっとする。企画はたまっている。もちろん著者も大切な「お客様」であることを心すべし。ていねいな本づくりの美名に隠れて非能率に溺れることなかれ。今年の目標=新刊5点!!

No.3

平成19年・亥年、あけましておめでとうございます。
J 時間は年齢とともに加速するとは言うけれど、これほどまでの実感とは! これなら、あと60年くらいすぐに生きられそう、とおめでたく考えられなくもない。しかしやはり新年の節目、たとえ憂き世でも、こうして命あることに無条件のよろこびをかみしめたいと思います。
K すぴか書房の現状報告──悪戦健闘と申し上げておきます。極小出版社の悲哀など論ずるに足りません。出版崩壊の予兆が話題となる大状況が進行しているのですから。出版産業の右肩が上がることはないにしても、本の命をつなぐには、むしろ一人が好都合かもしれない。同じように、紙の本が少なくなるということは、それだけ一点の価値が高まると考えればいい。それが健闘の動機づけ(やせ我慢の言い訳)です。
L「理屈より実行!」と野次られそうなご挨拶になりましたが、とりあえず元気です。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。皆様の健康を心より祈念いたします。
J 刊行点数はまだ7冊。目録発行には至りませんが、各書目の案内チラシを用意しています。ご希望があれば一覧表(広告)を添えてお送りいたしますので、ご一報ください。PRにお力添えいただければ幸甚に存じます。
(2007年元旦、年賀状の文面より)
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No.2

 1年ぶりのニュースレターです。つもりではせめて年2回、上半期(春)と下半期(秋)に新刊リストを加えたレターを出していくはずでした。自分でも感心するほど働いているのにこの結果では、近頃流行の成果主義で切られたら生きていけない。そんな主義に対しては断固反対!・・・と力まなくても、考えてみれば、発行点数が増えるのに比例して販売や営業の業務が増え、そのぶん本の編集・製作に割く時間が消えていくという算術計算に合致しており、現実に何の不思議もありません。さらにしかし、その成り行きにまかせていては、これから生産ペースは落ちていく一方、何のための出版社かわからなくなります。やはり企画の実現を最優先に据えて、「なんとかなる」から「なんとかする」へ基本姿勢を少し修正する必要がありそうです。 ただ、この間に、出版は本をつくることだけではなくてその後の管理、販売も営業もすべて含めてはじめて出版業としての自立がある、ということをしっかり学んだように思います。 すぴか書房は出版業としては無に等しくても、まともな出版業をめざします。 今度の新刊2冊、本の性格はまったく違うものの、オリジナルなテーマ、著者にはっきりと読者に伝えたいメッセージがある点では共通しています。しかし、こちらが良書の条件として期するところが、逆に、販売面ではリスクファクターでもあったりするわけで、発行部数の決定など大いに迷います。送り出した今は、とにかく売れてくれることを祈るのみ。正直な告白―注文を受けているときがいちばんうれしい。
(SPICA-SHOBAU NEWS LETTER,NO.3,2006.AUTUMN-WINTERより)

No.1

 創業2年目の秋、刊行書目はやっと5点です。最初、精神科領域の本を2冊出したので、精神専門と思われた方が多かったようです。その後の3冊でスペクトルが一気に広がり「誤解」を解いたものの、出版傾向の定まらなさを印象づけたかもしれません。極小出版社ではありますが仕事の枠を狭めずに、どうせ等身大以上にはがんばれないのですから柔軟に、伸びやかに活動したい。今後出版点数を重ねる中でどんな「らしさ」が培われていくのか「すぴか書房の看護書出版にご注目ください」と改めてお願い申し上げます。とはいえ、今のペースだと現在進行中の企画がすべて日の目をみるのはいつのことか?その点に関しては理性を麻痺させるしかなく、計画より実行あるのみ。『自殺は予防できる』は年間の自殺者3万人超(死因の第6位)の非常事態の中での緊急出版、公衆衛生学会での発売に間に合いました。新しい公衆衛生の課題に取り組む手引きとして、活用度大。類書無し。
(SPICA-SHOBAU NEWS LETTER NO.2 より)

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