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No.40

2011年2月某日
 「積読に値する本」という言葉に出会った(長友啓典『装丁問答』朝日新書)。妙に納得する。本は読むために買ったわけだが,読まれないこともある。しかし,それがイコール無駄なわけではない。本屋で目にして,手に取り,五感(味はちょっと無理なので正確には視聴嗅触の四感か)をはたらかせ,自分の目利きを信じて購入し,重みを感じて持ち帰り,机なりテーブルなりに置く。書棚に差し込むことはない。私の場合,辞書や実用書は別にして,書棚に収まるのは「合格した」本であり,所有していたい本なのである。積読状態から蔵書に昇格するわけだ。そうすれば,いつでも手にとって眺める楽しみが保証される。
図書館で借りた本を自分の書棚に立てるのはまずい。何か後ろめたい気持ちを伴うのではないか。今は亡き友人から借りた本がそのままなのは書棚に収まってしまったからだ。読み通さないまま蔵書に昇格したものも多い。積読も蔵書も目の端にはかかっていて,手にとられるのを「待たれている」というのは,なんと贅沢な豊かさだろう。
本が手近にないと落ち着かないという輩は今も少なくないと思うが,携帯依存症が蔓延しているのをみると,それも変わってしまうのだろうか。近頃はこの私でさえ,携帯を忘れると取りに戻ったりしている。どこへ出かけるのにもバッグに本を入れないと気が済まないのは貧乏症と言うべきで,野暮臭いぞと思わないでもない。しかし,私の中で本が携帯に代わることはないだろう。
蔵書をデータ化することが「自炊」と呼ばれ,そうする人がふえているなんていうニュースが流される。ほんとに本当か? 見識のないマスコミ報道は今に始まった話ではないが,この種のことを請け負う業者のマッチポンプの片棒を担がされているのだとすれば情けない。「本を粗末に扱ってはいけない」と説教を垂れろとは言わない。やりたい人は勝手にやるだろう。ただ,本にとってみれば,それは解体・廃棄処分以外の何物でもない,つまり「本」ではなくなるのだということは,押さえていてくれなければ困る。進んだ蔵書の方法,あるいは,もう蔵書は不要などととらえるのは馬鹿げている。具体的な一冊の姿かたちに編集され,装丁されて「本」という製品が生まれる。その本を殺して,データだけ抜き取るという処分方法は,古本屋が介在することで回っていたリサイクルシステムに抵触する問題としてとらえるべき事柄だ。古本は「本」として生きるが,古びることのないデータは古本にならない。もちろん,データが「積読に値する本」に置き換わることもないだろう。
どうやら,本のつくり手としては,電子書籍に心が躍る魅力を感じない理由を言っているのと同じところに帰結する。しかしそこで終わらせるのではなくて,私にとって大事なのは,逆に考えることでなければならない。積読や蔵書に値しないものは,せっかく作っても本として生かしてもらえずデータに還元されてしまう,情報収集なら本でなくともよい,そんな厳しい淘汰の時代に入ったのであればなおさら,本に値する本,大切に扱ってもらえるような本をつくるしかないのだ,と。

 No.39

2011年1月某日
  取次から今年初めての注文が入ったのが6日、最優先で初荷を納めてきた。幸先よしと思いたかったが、その後、もう月末になるが音沙汰無し。それどころか本日、返品3箱の連絡がきた。厳しいぞ、今年も。
 初詣は浦和にある調神社に出かけた。調は「つき」と読み、月にかけて兎をシンボルにしていて狛犬も兎なのが珍しい。今年の干支に因んで初めて参拝した。おみくじを引くと、なんと「大吉」と出た。くじ運の悪さは自他ともに認めていて、せめて凶だけは勘弁してほしいと思っていたので、大いにうれしいことだった。この際、神頼みでもなんでも、あてになろうとなるまいと、味方してもらえたようで、素直に感謝である。
 参拝の人出をみれば、初詣の風習は廃れていない。むしろ、若者たちの間で流行にさえなっているらしい。ところが、生活の場や街の風景からは正月らしさが失われてゆく一方だ。職人が作った青竹と松の門松を見なかった。パチンコ店の前に見つけて近寄ってみたらプラスチックの偽物だった。シャッターを閉めた会社はせいぜい謹賀新年の張り紙のみ。思えばその前、正月を迎えるために忙しかった師走の風習も風情も消えている。ついでに言うが、クリスマスツリーの出現がニュースの話題になるのに、門松が飾られたというニュースはついぞ聞かない。日の丸・君が代だけが日本ではない、と声を挙げる国粋主義者もいないようだ。
 犬とたっぷり散歩しながら観察したところでは、一般住宅でも松を立てていた家は1割もない。玄関飾りさえ6割程度。凧上げも、羽根つきも見なかった。何年か前までは、必ずどこかで凧上げしている親子がいたものだが。遊ぶ子供の姿がないのは少子化のせいだけではあるまい。家の中でも、カルタや双六で遊んだ子供はどれだけいるだろうか。
世の移り変わりを嘆くのではない。どう変わるのか、失った代わりに何を得たのかということを考えている。失いたくないものについて思うことは、なぜ無力なのだろうと考えている。ここでまた、本の行方について思いを巡らせてしまうわけだ。
 先日、新聞の投書欄である中学生が、お正月の遊びをしたいと思っても、それを売っている店がない、「お店で売るようにしてください」と書いていた。私にはよくわかる。この声に対して、「大人」は、売れないから商品にはならないという論法で臨むのだろう。しかし、その論法だけで先を急いでいったい何をめざしているのか。私は、その声をどうしたらかなえられるのか、と考える大人でありたいと思う。現に、そうした企業が皆無ではないことも知っている。読者と出版社の関係になぞらえても同じことだ。売れるものをつくる(売れないものはつくらない)のが商売の鉄則だが、その前に、つくらないものは売れない(買ってもらえない)という論理があって、私は出版の仕事を始めたのだ。

 No.38

2010年12月某日
 年末らしく、窓ガラスを拭き、網戸の汚れを落とした。仕事場の掃除だけは毎日欠かさずしているので、それ以外に大掃除らしきことはしない。それでも部屋が明るくなったようで気持ちがいい。ちょうどそこへ、越前水仙の贈り物が届いた。テーブルの上、積ん読の本の山を脇へ寄せ、このところずっと空だった信楽の花瓶にざくっと一束立てて、真ん中に置いた。よく香る。新春が近いのだ。
 ここで今年を振り返り、充実した思いに満たされて一服できたなら申し分ないのだが、残念ながらそうはいかない。この雑記にかかると、頭の中を暗雲が垂れこめる。2009年、2010年の毎月、ずっとそうだった。芳しからぬ営業成績がこうも続くと、もう精神主義の空元気だけでは文章をつづることができない。しかし、自分でも不思議なのだが、鬱に陥ることはないし、具体的な展望は何も描けていないのに「撤退」を考えることもない。まだ十分戦っていないという思いのほうが強い。
 敗北主義ではない。というより、戦争モデルで勝利をめざす気持ちとは違うのだ。売れないことの背景に、電子化の潮流に出版がのまれてゆくという革命的状況があるのは明らかだが、その大状況を敵に回してどうする。相手にもされずに終わるだけだ。しかし、そのなかで出版が変質することと、本というものの行方については、心配が募る。物としての本が消えるということは、それを支えてきた出版産業を消滅させ、ひとつの文化総体が消えるということなのだ。近頃の電子書籍をめぐる話題では出版社や作家らの利権がらみの発言ばかりが聞かれる。彼らが出版を我が物顔で語るのは、さもしくはないか。紙は、印刷は、製本は、書店は、その他諸々の本と出版文化を担う職業、それにもちろん読者はどうなる。一言でいえば、今ある本への「愛」を一顧だにしない経済グローバリズムには与したくない。少なくとも、悪乗りしてはならないと思う。
 やはり、考えの行く先は、我が身の心配より、大きな話になってしまう。苦笑交じりではあるが、自分のやる気というか、意地の根源は、こうした大状況に対する抵抗(レジスタンス)にあることを再確認する。その先は知らない。物としての本(すなわち「本物」)にこだわりつつ、行けるところまで行く。
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No.37

2010年11月某日
 テレビのニュースで事業仕分けのことをやっていた。現政権のメッキがすっかり剥げてしまった今となっては、大なたが振るわれる期待よりも実効力を疑うほうに報道の力点が移っている。ならば、事業仕分け自体の費用対効果が問われることにはならないのか? 民間の「成功者」と思しい仕分け人が大層自信満々に見えるので、ちょっとだけ皮肉を投げてみたくなった。対する役人たちはどうか。抗弁の多くは苦しい言い訳にしか聞こえない。事業目的を御旗に掲げ公的責任論で立ち向かう正攻法の気迫に欠ける。たぶん、その信念あるいは本気度が足りないのだ。仕分けのパフォーマンスは、お役所仕事の実態をさらす役割は果たしたと言える。仕分け人の意図もそれがすべてであり、議論は無用、合意など端から求めていなかったようだ。当面の作戦としては理解できる。しかし、それを囃し立てる気にはならない。人間が変わらなければ、志気は低下し、数字合わせやごまかしが増えるだけ、というようなことは、経験的に十分学習した気がしているから。
 無駄づかい排除のために、自浄能力が欠如した役人を追及することは必要だ。効果の検証を求めることも当然だ。しかし、何をもって無駄と言うのかは、目的の価値判断を抜きにしては考えられない。そのことに政治、政策は深くかかわる。仕分けを政治主導で行なうことに意味があるとすれば、最も重要なのは、政策の正しい推進に貢献することだろう。役人天国にメスを入れることくらいにしか政治主導が発揮できず、その成果を数えることばかりに人々の目が向くようになったら、夢も希望もないというものだ。
 詮もない政治批判を書くはずではなかった。ニュースをみていて、我が身を省みて思ったことがあったのだった。もし、すぴか書房が役所の事業で、仕分け人の前に引き出されたとしたら、即刻廃止に仕分けされてしまうのだろうな、と。そうしたらテレビに顔が映った役人たちと同じように、憮然たる表情をうかべて引き下がるしかないのか、と。幸か不幸か、私は100パーセント自己責任でやっているので、他人に文句を言われる筋合いはない。補助金もなく自己責任で業績を上げる以外に道はない。それでも、かろうじてではあるが夢も希望も失わないでいる。憮然とするよりましだ、と思いたい。
 しかししかし、すぐに思い直した。読者の目が光っている市場の厳しい仕分けを常に受けているのが、本当のところではないか。言い訳無用。その現実に思いを致すなら「…よりまし」も何もあるまい。甘すぎる。自分の中に仕分けの目を向ける必要がある。

No.36

2010年10月某日
 今月は矢のように過ぎた。長く居座った猛暑の幕が突然降りてしまったと思ったら、秋の風情、味覚も景色の変化も味わえないうちに、冬の気配が寄せてきている。秋の夜長、虫の音もほとんど聞かなかったように思う。それに代わるかのように、人里というより街中に出没する可哀そうな熊たちのニュースが記憶に残る。野生生物が人目につくのは数がふえたからではない。彼らが隠れていられる環境が失われたからなのだ。生態系は大丈夫か? ここで熊たちの心配をしても始まらない。それよりわが身の心配。
  最高の季節であったはずの10月を、あくせくと終えてしまうようなのは寂しい気がする。週末には学会出張に出かけていい刺激を受けてきたけれど、寄り道や回り道の好きな私が、ついでに足を延ばすことはなかった。書店回りをした後では疲れしか残らない。年齢的自然? かもしれないが、まだしばらくは順応を拒みたい。その気持ちを再確認する。
 肝心の仕事だが、計画通りではなくとも編集作業は進んでいる。製作のアイデアがわいてくるとつい時間を忘れてしまう。そんな寄り道を楽しんではいる。しかし、デスクワークに費やせる時間の割合は、実のところかなり少ない。一方で、返品攻勢は容赦なく厳しさの度を増している。こちらとの「たたかい」は待ったなしで逃げるわけにはいかない。後処理(敗戦処理)と言うのが正しいのだろうが、主観的に「たたかい」と思わなければ気力がめげる。生来のマゾ的性格。守備には強いのだと言い聞かせて対処しているが、本来は勘定に入れたくない仕事である。この実働時間がばかにならないし、疲れる。
 こんな状態がいつまで続くのか、恐ろしいから予測はしない。先月の雑記の締めくくりに「ひたすら耐える」と書いたばかり。それ以外に何も言うまい。
 今日また、注文よりはるかに多い返品を受け取りに取次に行ってきた。電話を受けた時にはさすがにまいった。11箱。こんな数字は決して公言したくないのだが、後学のため(?)、ここに記録として残しておく。半分は小箱だったので、我がワゴン車にいっぺんに積み込めたことが、せめてもの慰め。

No.35

2010年9月某日
 恒例の常備セットづくり、今年は朝霞にある倉庫に出かけての作業になった。常備店の数は少し減って70店。納品を済ませたのも束の間、返品がたまっていると取次に呼ばれて取りに行く。これから年末まで、前年の常備売れ残りが帰ってくるので返品の頻度がさらにふえることを覚悟しなければならない。返品はその都度片付ける。でないと、事務所が段ボーzルの山で埋まる。まだ3か月もたっていない新刊本も、すでに先月から返品が届き始めている。雑誌に新刊案内が載り書評掲載の予定もあって、こちらとしては、売れるのはこれからだと期待しているのに、なんともつれない。
 駅前の書店でレジに近い新刊書の棚に『傷だらけの店長』(伊達雅彦)を見つけた。この手の本にはつい手が伸びる。街の書店事情(タイトルをみればわかるように、もちろん苦しい実情)を日記風につづった店長の奮戦記。帯には「最後まで抗い続けた書店店長のどうしようもなくリアルなメッセージ。」とある。奮戦のかいなく店は終わりを迎え、店長は書店を去る。本づくりの前線と同様に、もう一方の前線である書店が難しい局面にあることは想像に難くない。事実、この通りなのだろう。センチメンタルに同調はしないけれど、多々身につまされた。共闘の道はないものか。著者がいて編集者がいて、出版社があり書店があり、書店員がいて読者がいるという相互関係で歯車が回る、人間的な血の通った小さな共同体を守るために。
 本が売れないと言いながら、新刊点数が減らない。出版界全体が自転車操業に陥りつつある。その結果、書店では次々と届く新刊を並べるのと、はみ出した分を送り返すのとで多忙さが増す。この本の著者もそれで疲弊していったのだ。目立たない小社の新刊は真っ先に追い出され返品の憂き目にあっているのだろう。早すぎる返品には文句をつけたい気持ちもある。もっと置いておいてもらうことが書店の迷惑になることは決してない、とも思う。それくらいの自負をもって出版している。しかし、絶望的な悪循環に苦しんでいる書店に、こちらの期待だけでセールストークをぶつけるのは気がひける。本は無理矢理押しつけるような商品ではない。その原則も忘れてはならない。
 取次の社長から以前、すぴか書房の本は「ロングセラーが多い」と言われた。それを肯定的評価と思い違えるようなオメデタさはとうに卒業した。全否定ではないというだけのこと。「売れている」とは決して言えないけれど、まったく「売れていない」わけでもない、と言ったとき、真なる命題は「売れていない」のほうにあることを認めなければならない。“傷だらけの店長”は展望をもてずに力尽きたが、小出版社を取り巻く状況は同じだ。私はどこまで耐えられるだろうか。良書がグッドセラーに育つ展望を捨てたらやっていけないことだけは確かだ。それをまだ捨てられないから、ひたすら耐える。

No.34

2010年8月某日
2010年8月某日 8月も末になるのに、すさまじい暑さだ。猛暑日がこれほど続くのは1994年、1995年以来だとラジオが言っていた。すぐに当時の暑さのことを鮮明に思い出した。個人的に特別なライフイベントと重なる年なので、記憶に刻まれているのだ。もしかすると、今年の暑さもずっと思い出されることになるかもしれないと、ふと思う。「そんな時代もあった」と微苦笑を浮かべながら、というふうであればよいのだが。
7月決算なので、前期1年間の収支の資料一切合切を税理士に持って行ってもらった。昨日は一日そのための整理に費やしたのだが、予め覚悟していた通り、赤字拡大は明白。残念ながら、隠れた入金の見落としは発見できなかった。
税理士は開口一番「今年はどこも最悪です」と言った。中小企業の窮状は、端っこではあっても実業界の連鎖の中にいる私にもよくわかる。そこからの目線で、いまの政治はひどすぎると思う。しかし、そんな話で皆と同調できたところで慰めにはならない。小社にとって直視すべきは景気以前の問題だからだ。
売れてほしい願望と、売れない現実とのずれ。その客観的事実を認めざるを得ない。願望で現実が変えられない以上、現実に合わせた対策が必要だ。もちろん、私なりにできることはやってきたつもりだ。しかし、「私なりに」という限定には謙遜よりも言い訳的ニュアンスが含まれていることに、自分で気づいている。対策的な行動に走れない私がいる。たぶん、そんな私自身がいちばんの問題なのだ。
ずっとずっと昔、受験生時代を思い返しても、当時の売れ筋参考書“傾向と対策”シリーズには手が伸びなかった。「結果を出す」ことを目的とした効率主義とはいつも距離を置いていた。それでも、成功とは無縁だが、この歳までやってこれたではないか。すぴか書房もしつこくその延長線上にある。それゆえ「対策」は苦手。単純に、能力に欠けていると言ったほうがいいか。
では、何を支えに仕事を続けるのか、と自問する。帰着したのは、結局のところ「たたかい」なのだ、という自答。何かを打ち負かすためのたたかいではない。「生きることはたたかいだ」と言うのとほぼ同義だから、なんということはないのだけれど、出版という営み自体が、客観的な条件は厳しさを増すばかりだろうし、これからますます反時代的なたたかいの自覚なしには続かないのではないか。そのように思う。
落ち込むよりは、現状を底と考えることで空元気を強いていたら、養老孟司の発言が目にとまった。「私が好きなイタリアの箴言にこういうのがある。「どん底に落ちたと思ったらそこを掘れ」って(笑)」と(『新潮45』9月号、坂口恭平との対談)。私が言えば陰々滅々にきこえそうだが、そうではない。明るく言い放っているのだ。陽気なイタリア男にそんな根性が潜んでいたとは知らなかった。そういえば、私は、高田純次の軽薄さが好きだ。あのラディカリズムをどのようにして身につけたのだろう?

No.33

2010年7月某某日
東京国際ブックフェア開催(7月8〜11日)が関連しているのだろう、連日のように出版関連のニュースと解説記事を目にする。載っているのは経済面。出版は2兆円産業と言われてきたが、1996年をピークに下降線をたどり昨年は2兆円を切った。本が売れないのは景気の問題ではない。いわゆる「本ばなれ」だ。出版の質を棚に上げて言うのはよくないけれど、以前の水準に回復することはないだろう。読書人口は近代化とともに増え続けた。高学歴化に支えられて知は文化の中核となり、本はその証であった。また、最も手に入れやすい娯楽を提供する役割も担った。本の需要が消えることなど思ってもみなかった。それを、情報化社会は急速に、すっかり変えつつある。知は情報の断片に解体され、努力して全体を獲得すべきものから、簡単に取り出せるものとなり、消費するものとなってしまった。我々はまさに時代の変わり目、近代の終りをみているのだと思う。そのなかで、人々の目は変化にばかり向きがちだ(特にマスコミが重症)。しかし、それ以上に重要なのは、変わらないもの、あるいは変えてはならないものを的確につかむことではないだろうか。先にはその先がある。変わらないものがつづかなければ、そこで人類の世界は終わるだろう。本の何が変わらないもので、変えてはならないものなのか。今の我々が、その先のために生かしつづける責任を負うとすれば、それは何に対してなのか、ということを大げさでなく考えさせられる。
少なくとも、ウン十年前に出版界に職を得た我々は皆、書物文化に愛着を持っていたはずだ。それは変わらないのかどうか。製作現場は激変した。編集者の変質ぶりも近頃よく聞く話だ。そして今や出版そのもののアイデンティティーが問われるに至ったわけだ。電子書籍「配信」事業への転進を画策するしかないようでは、自立的出版はついえるだろう。
先月、米国のアマゾンでは電子書籍の売り上げがハードカバーの本の売り上げを超えたそうだ。それ以上に売上高を伸ばしたのはキンドルやiPadだろう。で、電機メーカーの電子書籍への参入が相次ぐ。
「電子書籍元年」だという。新しい市場が生まれるということなら、それはそれでよい。しかし、読めればよいという読者ニーズを最上位に考えて、我々が本の未来を論じるのは浅はか過ぎる。読書の形態は多彩でよい。読者が選ぶ。本質的に重要なことは、印刷・出版をとおして培われてきた書物文化というものをどう考えるかということだ。
電子書籍と簡単に言うけれど、それは、そもそも「本」なのか? ここで「本」と言っている意味は、本物(ほんもの)の本を指す。本は本物だからこそ「本」と言う。この本質を射抜いたような日本語の見事な符合を、私は信じている。
     

No.32

2010年7月某日
先月、1年数か月ぶりの新刊発行が叶ったものの、打ち上げも、解放感に浸ることもおあずけのまま。バイオリズムのグラフは乱れっぱなしで、月末、雑記の更新に向かう時間も気力も残っておらず、とうとう月を越してしまった。今も腹が立つのと消耗感とで考えがまとまりそうにないが、書きはじめる。
発行に伴う残務を完了させるための忙殺なら愚痴ることはない。自分で決めた工程表なのであり、やるしかない。それが仕事だ。では何が消耗で腹が立ってくるのか。「仕事にならない」状態が続くからだ。なにゆえに? パソコン環境に生じた諸々の不都合に付き合わなければならないから。周辺機器ともどもこの春用意した新機種に徐々に移行していたのだが、能書きどおりスムーズにいくことはごく少ない。この事実は、デジタル嫌い、パソコン音痴の繰り言なんかでは断じてない。
たまった問題を処理してすっきりしたいと覚悟を決めて作業に取り掛かったのだが、それがかえってよくないのか、逆効果に襲われた態。徹底的にという志向は、次々と問題をほじくり返すことになって時間だけがいたずらに過ぎてゆく。電話サポートに頼ればよいと思っていたし、それで済むことも多い。その都度感謝もしてきた。しかし、対応する人に実力が伴っていないとどうなるか、今回は散々な経験をさせられた。納得がいかないまま何時間も引きずりまわされた挙句、お手上げ。この件は「上」の人に替わって一応の解決をみたのだが、まあ次々と事が起きた。昨日、本体(ハード)の問題と結論づけられていた件で訪問修理サービスがやって来た。これで最後だろう、荒れた気持を鎮めたいと思うが、いい反省ができない。具体的な事の顛末から生産的な学びを得ることはない。意味のない疲労感。不愉快な思いをしたという記憶だけが残る。
問題が起こると、あの手この手と操作を繰り返して、うまくいったところで一件落着、それ以上のことは「わからない」で終わりになる。どうも私が考える問題の「解決」とは違う。そこには、ユーザーにとって生産的な学びがない。教えてくれないのではなく、せいぜい「考えられることとしては・・・」と言えるだけで、ほんとうに原因の特定はできないらしい。機能だけがあって実体は見えない、確かな事実を求められない世界。それ自体が「仮想」じみている。
そういえば最近、パソコンにマニュアルの冊子が付いてこない。読まれないから無駄になるという理由だけではなかろう。読んでも役に立たないというより、そもそもマニュアル化できないようなことが多いからなのではないか? 「正しい使い方」が決まっていないなかで、いろいろな裏ワザがはびこっている。雑誌をみると、こうすれば速いとか、これは便利、簡単とかいった記事がいつも載っている。インターネット上にも情報が飛び交っているし、ネタは尽きないようだ。しかし、この種の情報にいちいち付き合っていたら、それこそ時間をとられて仕事にならない。私は、普通のやり方で普通に仕事を進めたいのだ。もちろん、仕事を素早く片付けることが第一目的になることはない。
「習うより慣れろ」だ、とよく言われる。実用上はその通りでも、そればかりが強調されることに、私は同調しない。便利に使うことだけがユーザーのニーズではあるまい。わかること、学ぶことがなく、ただ使わされているのでは、人間は道具を使っているのではなくて、道具に使われているにすぎない存在になってしまう。現にその兆候がないとは言えない。と、ここまで書いて、もやもやしていた気持の中からはっきりとみえてきたことがある。本のことだ。私がこだわる「本」は、技術のデジタル化やネット社会化が進む時代のすう勢に対して、ことごとく反対の方向を指すベクトルとして考えられる、ということ。「本が危ない」のも、本質的にはそこに理由があるのだ。ここから先の議論は、出版にかかわる営為の総体を問うことであり、本の将来を論じるテーマとなる。稿を改めなければならない。

No.31

2010年5月某日
デフレ的様相がいよいよはっきりしてきた。身近で交わされる話題も「もうからない」や「所得が減った」から「仕事が減った」にシフトして、心配が真顔で語られるようになっている。私はといえば、相も変わらず土日も出勤、残業無制限状態で、人からは「仕事があるだけうらやましい」などと言われるが、やっていることは収入の約束された請負仕事ではない。仕事をすれば、確かなのは時間と金を使うことだけ。その結果、本が売れて回収プラスアルファが得られなければ「……じっと手をみる」しかないのだ。それでもやはり、仕事がないより自分で「仕事をつくれる」ことは幸せなのかもしれない。
小社創業に至るまでの頃を思い返すと、「聖域なき構造改革」が叫ばれ、起業がもてはやされていた。失業中にすすめられて、初めて手にしたビジネス書にはアントレプレナーなんていうカタカナ語が踊っていた。意味がわからず辞書をひいた。ことさら啓発も鼓舞もされなかったし、目からウロコは落ちなかった。コンサルタントの話より、大経営者本人の話や営業マンの体験談のほうが数等面白い。因みにこの実感は、我が出版方針にもつながっている。
失業者がふえ就職難の今こそ、ピンチはチャンスで起業の道を指南する本を出したらいいと思うが、賢明な商売人は「はやらない」ことはやらない。時流に乗るのが商売の常道、それはその通りなのだろう。当時、たくさん生まれたはずの起業家たちは今どうしているだろうか。構造改革は続いているのか。その成果は何であり、それは我々が望むものなのか。検証も評価も共有されないまま、漂流する日本。小泉に懲りて、安倍、福田、麻生にあきれ、政権交代にも失望して、この先何があるのか? 衆目の一致するところが政治崩壊という事実認識のみでは、いったいどうなるのか先が見えない。実業に徹して政治には口をつぐむつもりでいたが、納税者として慨嘆だけはさせてもらう。
現在、新刊2冊の発行が目前。それで先日、紙を発注した。ところが、第一希望の本文用紙が在庫逼迫のため調達できなかった。インフレ時代の紙不足とは訳が違う。出版不況だけではない景気低迷によって紙の需要が落ち込み、過剰在庫を警戒したメーカーが生産を控えているためらしい。品種も絞られて廃番がふえているとのこと。大会社ならメーカーに直接注文を出せるので、需要の少ない今なら安く調達できるということもあるだろう。しかしその分、小口ユーザーの融通が利かなくなる。
デフレ下にあっては、このように効率化と画一化が進行するわけだ。ここでも大と小の格差は広がり、小が小として存続するのは厳しい。淘汰による進歩を信奉する新自由主義者は、それがグローバリズムの必然で、むしろ促進すべきことだとうそぶくのだろうが、私は、その果てに豊かな世界をイメージできない。勝ち残った少数が支配する社会からは、本質的な意味で多様性が失われてゆき、生活の質は貧しいものになるに違いないからだ。小の虫が意地を通そうとするのにも、自己満足だけではない意義と根拠がある。

No.30

2010年4月某日
先日、近くの松屋に牛丼250円の幟が立ったのにはびっくりした。ふだんは昼食抜きで過ごしているので、腹の減りに促されてというよりは社会勉強的モノは試しの気分で入ってみた。味噌汁も付いている。それで駅の立食いのかけそばより安いのは、尋常とは思えない。しかし、この大安売りに客が行列しているわけでもなく、店内の様子も平常どおりという感じで事が進んでいる。そのことがかえって、私にはなんだか怖い。デフレスパイラルとはこういうことなのか。今朝通ったら、幟はトマトカレー290円に変わっていた。
街の食堂がこれと値段で競争することは不可能だろう。不味くて高くて愛想の悪い店が淘汰されるのに文句はないが、昨今の現実はそんな健全な競争とはほど遠く、弱肉強食そのものがまかり通っている。自営業者は将来に見切りをつけて店をたたむ。夜逃げ同然の噂も聞く。そうして店が街から消えていく。消えてしまえば、贔屓もお気に入りもない。代わりにコンビニとファーストフード、居酒屋チェーンの林立、それも入れ替わり立ち替わり。「安くて便利」の大行進を誰も否定しないけれど、それを本当に我々消費者が望んだのだろうか。需要が供給を生んだ? 必要は発明の母? 最早そんな時代ではない。現代の進歩は、需要に対する供給側の支配欲によって駆り立てられているとしか思えない。
一消費者としては、ものが安く買えるのに越したことはないが、高くても高品質のものを手に入れたいと思うこともある。選択肢は多いほど豊かだと言えるだろう。しかし、事態はその逆に進みつつあるのではなかろうか。一見多彩なものがあふれかえっていても、本質的なところで選択肢が狭められている。「それはいらない。これをください」と言っても「生産終了品です。ありません」でおしまい。製品寿命は短くなり、新製品への順応を強制される。大量生産は少数切り捨てとセットでしか成り立たないのか? 立ち止まって考えよう、と私は言いたいのだが、時代の流れは止まらない。競ってその先へ向かっているようだ。
若者たちに蔓延しているという「欲しいものがない」症候群は、そんな状況の中での反応と考えると了解できる。反動でも反抗でもないところが我々世代と異なるわけだが。言い換えれば、供給されたもので「間に合ってしまう」症候群。それは、「間に合わせることしか知らない」ということなのだが、彼らにその自覚はないようだ。当面はパソコン(最近ではケータイと言ったほうがいいか)万能主義が続くのだろう。若者の欲しいものランキング1位がノートパソコンという調査結果なのである。
 自由な評論はここまで。冒頭の250円の牛丼問題に戻って話を終わらせよう。
デフレショックに襲われたのは、新刊書(来月のニュースには予告を載せられるだろう)の定価設定に目の前の問題として悩んでいる、出版自営業者としての自分だった。出版界にも牛丼屋に見られるような競争が起きたらやっていけないな、との思いがよぎったのだ。
思うように本が売れていない経験知に従えば、刷り部数を抑えるしかない。それで採算が合うように「正しく」値付けをすれば定価は高くなる。出す意義のある本と信じるなら、それで勝負するのが出版社としてまっとうな方針だと思ってきた。しかし、計算が正しくても売れなければ始まらない。負けと決まった勝負をするのは愚かだ。近頃は出版界にもデフレ的様相が見てとれる(低価格化は製作費の低下によるだけではあるまい。営業主導で小部数本が出しにくくなっているという話を聞く。多分そのとおりだろう。私が最も危惧するのは編集者の手間の切り詰めが進むこと、すなわち粗製乱造だが、その話は措く)。正直、値段を高くする勇気がにぶる。それもこれも経営状態が厳しいゆえであるのが悔しくも情けないが、読者の理解が得られる定価をどこに定めるべきか、状況を勘案している。恣意的でないための理屈づけも必要で、電卓片手に価格算定式を見直してみたり。だが、所詮皮算用。現実的に肝心なのは、刷り部数の判断だ。客観的なマーケティングなどない(あるにしても、そのためのコストはどこから出す?)。最終的にはエイヤッとサイコロふって決めることになる。身も蓋もない話になった。

No.29

2010年3月某日
 前回に続けて、表記法に関してひとくさり追加しておく。送り仮名についてである。目くじら立てないとは言ったけれど、これだけは、と意識して堅持している方針もある。その代表格が「行なう」「表わす」の送り仮名。必ず「な」と「わ」から送る。「行う」や「表す」はよろしくないと考えるので、原稿整理でも手を入れる。著者には、表記に関する特別な考えがある場合は知らせてほしい旨伝える。今は「行う」「表す」が正しいのではないかと、たまに尋ねられるが、理由を説明すると了解されるようで、悶着を起こしたことはない。私のようにこだわっていないだけかもしれないが。
 最近目にした例を挙げる。「実際に行ってみてわかった」「行ってみるとよい」。看護技術についての文章だった。文脈からすると「おこなって」と読むのが適当と判断できたが、私の感覚だと、素直な読み方は「いって」のほうだ。少なくとも、そこで読む流れがつかえてしまった。こういう例が案外多いのだ。なぜ「な」を送らないのか、と思う。
 「・・・と表していた」。これは一般書を読んでいてひっかかった。「評していた」の誤植ではないかと疑われるのだが、「あらわしていた」と書いたのかもしれない。それだと意味が違ってくる。他の箇所の表記が「わ」を送らない「表す」で統一されているものだから、意味が確定できないままだ。「表わす」が基準になっていれば、この場合「評」が正しいと推測がつく。
 我々が小・中学生の頃(昭和30年代)学校で、送り仮名は読み間違いを防ぐためにつけるという、そもそもの目的を教えられたと記憶する。一般的には活用語尾を送ればよいのだが、なかにはそれでは読みが定まらないケースがある。「終る」だと「おえる」とも読めるので「終わる」と書くように、と。間違いのないように必要十分に送るという原則は原則として納得できた。しかし、それでは仮名が多くなって煩わしいという声が次第に強くなった。その結果、新しい(といっても既に30年以上前の内閣告示)「送り仮名の付け方」が出されたらしい。
 私も吟味して文章を考えようとする大人になると、殊更なルールに縛られたくないと思うことが多くなった。だからといって、以前の原則のもとになった考え方が「誤り」だとは思わない。ひとつの原則ですべてを片付けるわけにはいかない、ということを知ったまでだ。人生経験を積めばそうなる。
 簡潔な表記が望ましいという条件を加えて、現実的に妥当な基準を求める。そこで、2つの条件が見事に両立するルールができれば理想なのだが、実際にはどうしてもバッティングするわけで、そのときの処理において判断基準、方針が問われる。最も重要なポイントは、究極的にはどちらを優先するのか、ということになるのだと思う。
 「送り仮名の付け方」をみると、そこがまったく明確でない。何のためにそうするのかという目的が一言も書かれていないのだ。前書きで、これは一般の社会生活において国語を書き表わす場合のよりどころを示すものであって、「個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」とことわっているが、この言い訳がなんだかオカシイ。個々人が一般の社会生活とは切り離されているみたいだ。個人的な話題でも文章にして発表するということは社会生活の営みそのものだと思う。私的メモや日記をどう書こうと勝手なのは自由社会ではあたりまえ、まさかそのことを言っているのではなかろう。文章を書く我々個々人に役立ててもらおうと意図していない「よりどころ」をなぜ告示したのか? 公用文のための便宜上の決まりなら、はっきりそう書けばよい。
 もうずいぶん前になるが、ある新聞の文化欄で、日垣隆が「な」から送る「行なう」派であることを表明し、「送り仮名の付け方」批判をしていた(批判の矛先は、編集者がそれを盾に検閲的に原稿を直したことに向けられていたのだったか?その辺の記憶は定かでない)。理詰めの論法に胸がすいた。それで日垣の名前を覚えた。彼は今や硬派の論客として名を成している。「行なう」に対する反論はみたことがない。しかし、依然として「行う」派が大勢を占めているようなのはなぜだろう。著者の美学なら、あえて口をさしはさむことはない。いやそうではなく、お上には逆らわない無難の思想、思考停止的な常識の壁による規制がはたらいているのだとすれば、抵抗を続けようと思う。

No.28

2010年2月某日
 原稿整理にとりかかると、必ずぶつかるのに表記法、用字用語の問題がある。自分なりの規準や方針があるにはあるし、メモの控えもたまっているが、いまだに迷いの種が尽きない。文章論とは違う。国語論に近いか。正誤の判定ではない。名のある新聞社や出版社では独自の規準を設け、手引書を作っている。それらは一般人の需要もあって、本になって売られてもいる。それぞれに違いがあることは、実際調べてみればわかる。違っていてもよいのだ。むしろ、いろいろあり得ると知ることで見識が高まる。表記法は強制的なルールではない。使う人の意図に従って役に立てば、それでよい。
 こうしたことを、原稿整理の実務に即して明快に論じた編集者の教科書を知らない。手引書や便覧の類は、統一の必要を述べチェックすべき事項をあげているが、それを実行するなかでぶつかる疑問や対処法までの説明はない。Whatを知るのに有用なだけだ。HowやWhyを伴う問題は、その時々それぞれの考えで対処しているのだろう。さまざまな自己流があるのかもしれない。そうなら、「私はこうしている」といった話を聞きたいと思う。編集者の体験談はたくさん本になっているし、編集(者)論も少なくない。しかし、編集実務論は書かれない。なぜだろう?
 組版や装丁などの製作関係の話になると、そこには実務を支える理論があるようだ。デザインの問題になるからだろう。指導的な立場に立つ人の解説書を読むと、それに基づいた説明は明快だし、論じるべきところは論じていて興味深い。技術やルールの歴史もある。それにひきかえ、原稿整理の技術とはいったい何なのだろう。
 誤字脱字であれば訂正する。正誤の物差しを当てるのに迷うことも少ない。用字用語は「訂正」するのではない。「修正」あるいは「統一」を図るための処置を受けるのだ。原稿を「いじる」ことは慎むべきだが、原稿は著者のものだから著者に任せるというのは、逃げ口上でしかあるまい。編集者は本づくりの責任を著者と分有する。品質向上をめざすのがあたりまえだ。本の品質に欠かせない要素として、正確さ、一貫性、統一性などがある。しかし、用字用語の類の統一に関しては、教科書の編集はちょっと別にして、規準を画一的に当てはめることに疑問がある。一冊一冊異なっても、さして不都合はあるまい。むしろ、それが自然だとも考えられる。いっさい手を加えるべきではないとする原文放任主義と誤解されたくないので、言い方を変えよう。その作品にとっての自然な統一感をつかむことが大切であり、外部の規準に合わせることより、その作品らしさを生かすことを優先させたいと思うのだ。作品固有の適切さというものがあるはずだ。編集者は正誤の判定者ではなく、適切さの追求者なのだと思う。その結果、実際のところ、用字用語については「ゆるい統一」でよかろう、というのが今の私の考え方だ。
 目くじらを立てることに大した意味を感じなくなった。許容範囲を狭くして完璧を期すとミスが目立つという逆説もある。そうなると徒労感が残る。ここで、今時の輩はすぐ、「一括変換で解決」などというデータ処理ソフトの話をしたがる。そんな話に編集者が飛びついてどうする! 楽するために有用なのであって、問題解決をしてくれるわけではない。あるいは、自動的な「解決」を押し付けてくるので、私などしばしば不愉快になる。そもそもデータに処理を加えることは、新たな間違いを生む可能性があるわけで、それを防ぐ万全の策を考える必要がある。いずれにしろ、まず読むという作業を抜きにして完全自動化の夢を見るのは馬鹿げているし、危ない。機械的な間違いはみっともないので、ますます注意が必要だ。例えば、ワープロ変換ミスの見逃し。意味がまるで違ってしまっているのなんて、まさに人間技ではない。

No.27

2010年1月某日
正月の休みで体調が戻った。シコシコ仕事に精を出しているが、新刊発行までの道は遠い。出版も、近代的な出版社では、他産業と同じように合理化し生産性の向上が進んでいるのであろうか。私には全くその実感がない。昔に比べ手間が省けている点もあるが、これまでの実績を顧みて、製作期間はほとんど変わらない。要領の悪さを嗤う向きもあろう。それも否定しない。アンチ分業では不思議もないか。しかし、それとは別の理由についても、ほぼ見当がついていて、その変わらなさに出版の本質があるように思っている。
 人間のペースというものを考える。早ければ早いほどいいというものではない。かけるべき時間はしっかりかけること。時が熟すという言葉の意味を、この歳になると深く理解できる。
 建物にしても同じだ。近頃の建て売り住宅の工期は、プレハブでなくとも驚くほど短い。現場の手間(人件費)が省かれることによって安くできる。化粧が施されて目にはきれいな新築完成。素人の客は隠れた土台も柱も見ない。便利な設備機器を見て快適な暮らしを思い描き、もちろん値段を見る。そして、経済合理性にかなった商品として買われていく。しかし、それではいい家が建つはずのないことを、プロの大工はよく知っている。安かろう悪かろうという話ではない。いいものができるためには、ふむべき工程・順序、それにかけるべき時間があるという真実を言っているのだ。50年も経てば違いははっきりする。なのに「真実」が話題にならないのは、20年で新しく建て替えたほうが「お得」という話にすり替えられてしまうからだ。文化的伝統はそのようにして廃れていく。手間を惜しむなと教えられて育った、私たちが最後の世代かもしれない。それは、手間をかけることの意味と価値を知るゆえの倫理だった。今はどうだろう? 手間取ることの否定と合理化促進一辺倒。それもこれも「勝ち抜く」ため。それが至上命題だなんて浅ましくはないか。
 果たして、出版業においてもユニクロ化した会社のひとり勝ちなんてことになるのだろうか? 小社に勝ち目はない。それでもなぜ続けようとするのか。言い訳をさがしているようなのは好ましい状態ではないけれど、その確認が、やる気の源泉になっているのも確かだ。歩く人のいない道は消える。消したくない道なら、せめて自分が歩ける限りその道を歩こう。それだけだ。
 新年の賀状で、自らに鞭を入れるつもりで「生涯現役」という言葉を使ったところ、同業の先輩からの返事にこうあった。「小生も生涯現役、臨終定年の心境です。」私にはそこまでの覚悟はなかった。うーん、唸るしかなかった。

No.26

2009年12月某日
 体調異変。「今年もまたか」と、こわれてしまってから気づく。こんなことが年末恒例なのは困ったことだ。師走らしく仕事が立て込んで、デスクワークをノルマとすることにも充実を覚えていたのだが、身体の停止信号には逆らえず、「年内に」との思いは捨ててソロソロ進めている。
 最初、肩の痛みが来て、腕があがらなくなった。整体を受けてだいぶ楽にはなったが、痛みの芯がとれない。それ以来、頭痛、寒気、不眠と、交感神経系の興奮がなだめられない感じだ。肩痛の直接的原因は筆記作業であることは間違いない。原稿整理は、まずはエンピツ片手にプリントされた原稿を読んでいくという昔ながらの作業スタイルを変えていない。通読する間に書きなぐりのメモがたまっていく。頭が興奮すると、知らず知らず筆圧も上がるのだろう。キーボード作業による眼精疲労や肩こりとは明らかに違う症状だ。筆記具を握っての作業量は、それしか手段のなかった昔とは比較にならないほど少なくなっている。それで腕・肩の耐久力が衰えてしまっていたのだ。悲しいことに、老化による筋力低下も勘定に入れなければならない。
 昔は、しょっちゅう首や肩を回していた。そうした慢性疲労から解放されていた分、今回は一気に急性症状に見舞われたわけだ。そういえば、ワープロへの変換期、腱鞘炎がはやったことを思い出す。最近はそれほど聞かないのではないか。病気は社会環境の変化とともに姿を変える。人間が生きている以上、病気もなくならない。自己コントロール感を、我れいまだ知らず。
 今年は改めて反省するまでもなく、○(マル)の少ない年だった。厳しい現状認識を得たことが逆説的な○、では、いかにも苦しまぎれな総括。いま確かなのは漫然とは過ごせないという気持ちだけだが、賀状には「挽回を期す」と書いた。

No.25

2009年11月某日
 本づくりの大本は言うまでもなく原稿である。ところが近頃、データという言葉がやたら飛び交っていて、原稿の存在がかすみがちだ。「データさえいただければ…」というのが印刷会社の営業の決まり文句だ。見積もりの安さを競うと、そうなる。見本を持参して品質の高さをアピールするセールストークを聞かない。競争力にならないからだろう。高度に自動化された機械の能力を信じれば、印刷の質の差を売りにすることはむずかしい。聞けば「自信があります」と皆が同じように答える。果たして、本当にそうか? 素人目にもすぐわかるような酷さはあり得ないとしても、私の限られた経験の中でも、実際には、インキの濃さが足りなかったり、刷りムラが目についたりはよくあって、刷り直してもらったこともある。その結果は明らかに良くなる。ということは、機械の性能の問題ではない。実物をチェックする現場の目が機能していなかったのだ。機械の性能を十分に発揮させ、最高の仕上がりを保証するのは、それを求めるプロの熱情と、厳しい目の力だ。データがすべてを決するわけではない。理論的に可能なことと、実際にできていることとは同じではないのである。人間の目を軽視していれば、やがて感度の劣化を来すことだろう。念のために言うが、印刷所批判ではない。出版界の業種すべての連環、もっと言えば社会全体が関係し影響し合っている問題だ。もちろん私自身無関係ではあり得ない。
 話を原稿に戻す。「データ入稿」という言葉が気になる。で、ちょっと理屈をこねる。入稿とは原稿を印刷所(印刷に至る製作工程を一括してそう呼んでおく)に入れることだが、データは「原稿」なのだろうか? データそれ自体は数字の羅列で意味不明、記録媒体の中身はそもそも見えやしない。それがどうして、大本たるべき「原稿」になれるのか。データ化されたらデータになる。だったら「データ渡し」と呼ぶほうが間違いないのではないか。私が実行しているのは「入稿(データ付き)」である。
 「データは原稿ではない」ということをはっきりさせたかったのは、編集者は何よりも原稿に向き合うという原則を再確認したいからだ。著者と印刷所との仲立ちたるべき編集者は、入稿原稿を確定するという役割を担う。そのためには原稿を読まなければならないし、原稿整理という仕事を引き受ける。それさえデータ処理のテクニックで片づけようとする話も聞くが、私には、まったく次元の違う話としか思えない。
 活字時代によく言われた「完全原稿」が今や死語に近い。データの追加や変更が楽にできるからだ。それで助かっている事実は認めよう。しかし、それとともに編集者が「完全原稿」への責任意識を失うなら退歩でしかない、と思う。自らを思い返して、完全原稿を入稿できたためしはないので、大きな顔はできない。そうすべきだという理想を自明の原則として共有していただけなのだが、その原則の共有ということが、プロとして成長する上でとても重要だったと思う。
 「データさえいただければ…」と言っていた人も、私が古い原則主義の編集者だと知ると、「最近は原稿(プリント)がなくて、メールの添付ファイルでデータを送ってくるだけという入稿も珍しくない。そういう場合、心配だから、こちらでプリントアウトしたものを“原稿”の控えとして先方に送り返す。何でこちらがと思うけれど…」と、嘆かわしい口調に変わる。社交辞令で話を合わせただけ? ではあるまい。本音が出たのだと思いたい。「データさえいただければ…」と言うのは、何でもありの風潮に合わせざるを得ない商売用。編集者としてそれに影響されたくない。おかしな編集者が珍しくないといっても、それが多勢というわけでもなさそうだから、先走った心配はやめる。デジタル技術が席巻する環境下にあっても守るべき原則は変わらないことを明言した以上、肝心なのは自らが断固実行し続けることだろう。
 追記……いったん筆をおいたのだが、さらに考えてしまう。以上の原則論は、あくまでリアル書籍というモノづくりにおいての話だった。電子ブックやオンラインジャーナルが一般化すれば、原則も逆転するかもしれない。現に、写真やイラストは「データ入稿」が進んでいる。イラストの味に満足できず「手描きで」と求めたら、手描きソフトで線を描き直したデータが送られてきた。筆を使おうとしないことに唖然とし、「時代が変わった」ことを知った。ところが、こんなこともある。あるデザイナーはCGで図を作ったのにプリントだけしか渡してくれない。その場合はデータこそがオリジナル(原稿)だと思うが、それを出さない。印刷所ではプリントのスキャンデータをとるしかなかった。彼にとってCGは単なる道具で、あくまでプリントが原稿だというのか? とすれば、彼は私と同類の旧人類の原則主義者なのか? 理解に苦しむ。

No.24

2009年10月某日
 今月は昨年出荷した常備品が返ってくるせいもあって、大量の返品。注文部数をはるかに超えている。山と積まれた返品の箱を一人で開ける元気は出ない。アルバイトさんに来てもらって丸一日、どうやら片づいて部屋はすっきりしたけれど、何だかわびしい秋である。そういえば「読書の秋」という言葉も耳にしなくなった。それにふさわしい話題も特になかったような気がする。新聞や雑誌は、蛸が足を食むような「出版はどうなる?」といった話題ばかりを繰り返している。
 『考える人』秋号が特集「活字から、ウェブへの……。」を載せている。「考え」ているのは概して同世代とそれに近い筆者で、つまりは読者も大方そのあたりなのだろう。所々でうなずき、なかには達観すべき方向を示唆された論考もある。しかし、それで心が明るくなるわけではない。紙媒体の産業が衰退してゆく近未来は動かしがたいからだ。保護は求めない(そこまで衰弱したら終わり)。先を見越して転進をはかる気もない。少数でも本として発信したい著者と、それを読みたい読者がいる限り、仕事はなくならない。その仕事を守りたいというのが、生き残る道にかける小社の考えだ。
 その証しとして一にも二にも本を出し続けることが肝心なのに、このところの低迷ぶりを何とする。原因ははっきりしている。いくつかの企画が挫折したためであり、ふがいなく思う。次の新刊予告まで、営業的には忍の一字。
 これをもって商売関係の滅入る話題はしばらく棚上げにしよう。この雑記、当初のつもりでは、編集の仕事の折々に思ったこと考えたこと、いわば編集メモ的な内容が主になるはずだったのに、始めてみると、つい営業日誌的な話題にいってしまう。となると、ぼやきの種は尽きない。はけ口も必要だとは思うが、それに淫したらアブナイ、と自戒する次第。来月からは、少し頭を使って書くことを考えたい。

No.23

2009年9月某日
 今年も取次(鍬谷書店)の倉庫で常備セットづくりをした。既刊・在庫有り全13冊を1セットにして80セットを納品。すなわち13×80=1,040冊を運び込んでの作業だった。昨年の経験が活きて、準備万端怠りなく手順もスムーズにいき、予定通り2日で完了。しかし、体にはこたえる。このあたりがセルフケアの限界か。聞いてみたら、他はなべて小出版社でも外注で処理している模様。きょうび、どんなことにも代行業者が控えているわけだし。
 小社にも、業務代行の案内が時々入る。いずれもコスト削減を謳っているが、その効率計算式は零細規模の数字が入ることを想定していないようだ。楽をするための費用を惜しまなくてよい経営状態になく、事業の拡大を目指して邁進するでもない私には、「必要」のアセスメントがむずかしい。心置きなく仕事を続けられること、それ自体が目標なので、単に楽を求めたいのなら仕事をやめればいいではないかと思ってしまう。顧みて、会社を一人ではじめてよかったと思えるのは、自分がやらなければ始まらない、やればそれなりにできて、道もできてゆくという経験をもてたことだ。自分の手を使うのに何の気兼ねもいらず、目いっぱい働ける自由がある。そのなかで、プリミティブな「労働」の実感を確かに得たように思うのだ。それは「労役」とは違うと言い切れる。そして、昔の自分が「賃労働」という観念に毒されて不自由だったことに気づいた。「労働」者であることは、少なくとも精神衛生上とてもよろしい。
 来年のことは来年に先送り。状況がどう変わるかもわからない。無理は改めるべきなので、最善策へのアンテナだけは張っておく。


2009年9月某某日
 前期(2008.8〜2009.7)決算の結果が出て、税務署への申告も済んだ。赤字でも払わなければならない税金に、今年から消費税が加わった。ということは、売り上げの合計が増えた結果なので、出費は痛いが、そこに唯一ほのかな明りを見る。「今はどこもだめ。よくやられていますよ」との税理士の慰めの言葉を素直に受け止めておく。
 我が持論に、人生打率3割論というのがある。野球で3割打者なら一流選手。逆に言えば、どんな大打者でも打率10割はありえないということ。プロの選手で生涯打率5割は一人もいない。3回に1回ヒットが出れば上出来と考えるべきなのだ。以前、ある学会で一緒に出展していた他社営業の大ベテラン氏との雑談で、どれくらい売れれば「よく売れた」と思えるか、尋ねられた。3割と答えると、彼も同感だと言われた。つまり人生、何事も目標3割と考えれば、まず間違いはないようだ。
実績は厳しい。1割にも達しないで返品が来たときはしょげる。このところそれが続く。出張自粛の影響もあるのははっきりしているが、そんな細かいことより、小社の出版の実力がこの結果なのだ。悟ったようなことを言えても、これでは自己評価の甘さを笑われる。
 出版も3点に1点ヒットすれば経営は安泰でいられる。その計算から外れないように値段をつけているからだ。打率2割5分でも空振り三振が続くのでなければ、たぶん何とかなる。手堅く安打を重ねられれば本望なのだが、なかなかヒットにならない。辛うじて取り柄と言えるのはホームラン狙いの空振りが少ないことか。もしかすると、それこそが弱点? しかし、代打はいない。粘って打席を続けるしかない。

No.22

2009年8月某日
 多くの方に執筆していただく企画が成立したので、依頼状の発送まで、久しぶりにまとまった量の事務業務を片付けた。単独著者であれば、原稿内容そのものに関わるやりとりが最優先で、その他の約束事は随時口頭で済まされることが多い。逆に言えば、それでも支障がない信頼・信義をベースにして本が出来上がるということだ。何事も契約を出発点にすえる米国流ビジネスではなく、到達点で条件を確定して念書を交わす旧日本流。いいかげんなご都合主義は大きらいだが、融通はできるだけきかせたい。
 しかし多数が結集する仕事となると、そうもいかない。融通をきかせすぎれば不協和音を生むだろう。基準線を定め、円滑にことが運ぶように支える事務方のはたらきが絶対に必要だ。出版方針や条件がぶれないように文書化しておく。工程表も欠かせない。今回は著者用に原稿執筆要領を用意することにした。
 ワープロ使用が一般化して、むかし学校でも教えた「原稿用紙の使い方」は無用になったかのようだが、実は、本にするための原稿の基準が意識されないために、不合理な手間と混乱が生じている。そんな問題も、生じる不都合をカバーする技術が追加されることで刻々と“解決”するので、ますます基準に頭を使うことが基準にならなくなってしまった。そのことの意味を考えだすと、とめどなく話がそれるのでやめる。(人との会話ではいつも脱線にブレーキがきかず長話になる。しばしば呆れられているのに、この悪い癖は一向に直らない。)技術的弥縫策万能主義が私には愉快じゃない、と言い捨てておく。とにかく、現在の環境に適した“執筆心得”を提示したいと考えたのだが、全体を見渡せるような学はなく、最新知識に欠ける私にはむずかしい。日本エディターズスクールから出ている小冊子『パソコンで書く原稿の基礎知識』は丁寧に説明していて役に立つと思う。しかし、一般の著者にここまでの適応を強いるのは無理だろう。結局、これまでよく目にしてきた問題に絞って、メモ的な助言を加えるだけにした。自前の文書作成ではなく本の原稿として書く場合に、PCに疎い著者でもこれだけは知っていたほうがよいと思える留意点。これくらいなら負担にならないだろう。私自身よくわかっていなかった頃のことを覚えているので、説明は理解しやすいのではないかと思う。


2009年8月某某日
 この夏は猛暑もなく、特別くたびれてもいなかったが、夏休みをとった。何の計画もない休暇でもすぐに日は経つ。リタイアしても無聊をかこつ心配だけはない。時間はいくらでも欲しい貧乏症。5日ぶりに出勤すると、不在中の心配と期待が半々だった注文FAX受信はゼロ。すぴか書房の無風状態を象徴している。
 これまで、学会にあわせて取材と営業活動を心がけてきたので、学会ハイシーズンの夏は出張続きでもっとも多忙な季節だった。しかし、今年は遠方への出張を自粛した。小社は7月が期末、決算の結果がほぼみえているので経費節減を意識せざるをえない。家計の話ではなく、いやしくも事業なのだから、出費を抑えることにアタマを使っているようでは先がないことはわかっているつもりだ。もとより浪費に走った覚えはないのだし。
 もうひとつの理由は新刊が出ていないこと。私自身は新製品に飛びつく性格ではないので気にしていなかったが、書店の目玉はあくまで新刊なのである。学会出展も同じこと。積極的材料を携えない営業活動は空回りに近い。あいさつだけでも、という新参者の時期は過ぎただろう(まだそれさえできていない書店のほうが圧倒的多数ではあるが)。最新の見本を用意して訪ねるのが商売の礼儀にかなっている。ならば、そうすべきだ。
 今は営業的には消極的試行錯誤の時期、本づくりに集中し黙して励めということだろう。幸い、楽しみな企画が続いている。「当てる」自信はなくても、こちらは消極的になる理由はまったくない。

No.21

2009年7月某日
 先月のことになるが、書きとめておく。事前に届いた某学会のプログラムの演題の中にちょっと珍しい名前を見つけ、どこかで知っている人のような、記憶に引っ掛かるものを感じた。しかし思い出せない。
 ずっと昔、雑誌をやっていた頃は、取材もあって、今と比べればずいぶん多くの人と会っていたが、人に対する記憶力は悪くなかった。特に,原稿を書いていただいた方であれば、いつ何という特集だったか、掲載時のタイトルまでもかなり正確に覚えていて、何年経っても、会えばスラスラそれが出てきて、相手から感心されたものだ。お願いした立場上、それが当り前だと思っていた。もし、逆にこちらが忘れていたりしたら編集者失格だろう。それでは著者との縁が育たないだろうから。
 編集者に限らず、仕事の経験を積むということは、さまざまな縁を結ぶということに他ならない。仕事のよろこびも悲しみも縁において生じている。どんな企画も著者との縁がなければ空想にとどまるし、出版物を世に問うのは、読者との縁を求めてのことなのだ。出した本がまったくの空振りに終わり一人の読者とも交わることがないとしたら……想像するのも恐ろしい。自己満足なんてあり得ない。
 閑話休題。思い出せないと気になる。近頃顕著な記憶力の減退は、我が編集者生活に危険信号が灯っているようで落ち着かない。働かない頭に見切りをつけ、犬棒式の探索行動開始。すると果たして、雑誌時代にもらった読者からの手紙や葉書を保存した束の中に、その名前があった。日付はぴったり20年前。所属はプログラムの肩書きにあるのと同じ病院だ。
 学会当日、演題の発表をきいた。看護師の取り組みを伝える明快な内容だった。実際上のあれこれには興味深い実践が潜んでいるように思えた。しかし会場の反応は静かで、客観主義的な研究者の関心を示す、ないものねだり的な質問が出ただけだった。終了後、声をかけて感想を伝え自己紹介した。古い葉書を見せると、彼女はよく覚えていた。20年前の若手中堅候補は、いま円熟した看護師長。大学人が大勢を占める学会に、臨床現場から自らの実践をもって発表者として参加し続けている存在は貴重だと思う。
 この縁がこの先、私の「仕事」につながるかどうかはわからない。しかし、商品となる本だけを成果の尺度と考えるのは窮屈だ。編集者・出版人として活動するなかで生まれるこのような縁を単純によろこびたい。

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