看護の今から未来へOriginalPublisherをめざす医学・看護学と関連分野の専門出版社 すぴか書房
 
治癒力の共鳴をめざして
細川 順子 [著]
A5判 240頁 定価(本体2,500円+税)
ISBN978-4-902630-02-2
たしかな看護の記憶。……患者と看護師のこころ模様と葛藤をみつめて、ここまで真率に語られたことがあっただろうか。
交わされた対話を読み解きつつ、看護の真実性を追求した、ユニークな著作
「書かれているエピソードはすべて実践にもとづいている。プライバシーを考え削除したり、言い直したところもあるが、記憶にあるかぎり、生のままの患者と私を書いた。」
「患者の看護は患者から学ぶしかない。患者は彼らを知ろうとする人の在りようによって、さまざまな姿を現わす。読者も、自身が出会った患者と自身を(本書のエピソードに)重ね、患者や私と対話し、あれやこれやを考えてほしい。」
 (以上、「あとがき」より)
市場原理が先行した理念なき医療改革が懸念される昨今。しかし、そうであればなおさら、患者の尊厳を守ることへの配慮が切実な意味をもつ。看護の真価が問われているのです。本書の数々の事例は決して失ってはならないケアの神髄を伝えています。 臨床看護面接は、人間のあるがままに近づく道。 Natural Healing Powerとともに!!読者は看護師であることの勇気を呼び覚まされることでしょう。学生の教材にも好適です。
推薦文(書評)へ
【著者】ほそかわじゅんこ元神戸大学教授
【主要目次
序 章
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
終 章

患者からもらった宿題
病むこと,患者になること,人として生きること
家族の受難と対処
援助が成り立つとき
自己理解と洞察
支持的・受容的・人間理解的アプローチ
治癒力の共鳴をめざして
【推薦文/書評】

“看護教育”7月号(医学書院発行)に 『臨床看護面接―治癒力の共鳴をめざして』の書評が掲載されました。評者は佐藤紀子氏(東京女子医科大学看護学部教授)。 氏は一気に読み終え、「この人の実践力は何から生まれたのだろう」という問いが生じた、と書き起こされています。


『臨床看護面接』の書評記事掲載は、これで3誌目 (把握している限りでは)。“看護実践の科学”2005年11月号(看護の科学社発行)で遠藤恵美子氏(宮崎県立看護大学教授)が 「自分たちの看護パターンを振り返るための絶好の書」と題して、“月刊ナーシング”2005年11月号(学習研究社発行)で 岡本恵里氏(静岡県立大学看護学部助教授)が「看護実践のモチベーションを高めるきっかけに」と題して執筆されています。............2006.7.14

【読者の声】

読み終えて改めて表紙を見る。そこに描かれた黄色い3つの球は、動かしたら共鳴するのだろうか。それらはそれぞれ患者、医療者、そして家族なのではないかと考えをめぐらせてみる。
 序章のテーマは死。臨場感ある語り口にひきつけられる。この読み始めの内容で、果たしてテンションが最後まで維持できるものなのかとさえ思ったのだが、読み進むにつれてむしろテンションはますます上がっていった。このような読書体験は、私には初めてのものだった。
 著者は、学生の実習の指導のために調整に回る過程で患者さんに関わりを持つ教員であり、いわゆる受持ナースではないのだが、彼女と面接した患者さん(彼女の担当でないこともしばしば)は再び彼女との面接を希望するのである。これは彼女とのあいだに信頼関係が成立し、ある種の共鳴が起こるからだろう。ここですでに病に向かう姿勢(一番大切な治癒力)がなんらか変化している。全編にちりばめられた、豊富なプロセスレコード形式の記録(すなわち事実)の質と量はまさに圧巻である。声高に主張していなくとも、この事実の提示が静かに説得力を発揮して、それが本書のすみずみにまで行き届いている。
 終章。思索が病の“意味”の領域に踏み込むとき、深い思索においては必然であるかのように躊躇を示しているところにも好感を持つ。答えを安易に出さない姿勢、それでもなお実践できる力に脱帽する。
 本書は臨床に出る前のナースの卵には最適な内容だと思う。私は学生のうちに読むことのできた幸せを感じている。もしかすると、今臨床で悩む人に向けられているのかもしれない。私もこれから看護師の道を歩むなかで本書をたびたびひもとくことだろう。ふり返る力をもらい、その時々に新たな気づきを得させてもらえるのではないかと思う。

清水克敏(看護学科4年、37歳/岐阜県)
2007.9.6 Eメール受信

 表紙で目に着くのは三つの黄色い球体だが、よくよく目を凝らしてみると、その後ろに薄暗い何かがあることに気がつく。それらは無意識下にあるものを示しているのだろう。良いかかわりをするためには、ここに気がつかなきゃいけないよ、と言われているような気がしてならない。
 看護師−患者関係についてぺプロウが「お互いのパーソナリティの成長の場」と言っていた。『臨床看護面接』の著者と患者さんの会話をみていると、改めてそうではないかと思う。ピンポイントでなく、このような著書があらわされるということ、その過程自体がそうではないかと思う。苦悩する過程は看護者を成長させ患者をいい方向へと導いていく。迷うというのは、それだけで自分を見つめなおす機会であるし、同時に、ともに悩んでくれる人の存在は、暗闇を照らしてくれるような存在だ。ここに患者や看護師という固定した立場はないと思う。患者以上に看護者は悩むときもある。看護者が患者のパーソナリティを成長させることなどできない。逆に、よき看護者を目指していくなら、患者という存在がその道を案内してくれるのではないか、と僕は思う。
 本書を読んでいく中で、実習中一番心に残った言葉が思い出されてきた。それは「味がわからんのよ」という言葉だった。その方は腹腔鏡を用いた手術で全身麻酔をされていた。非常に周りの人とコミュニケーションをとるのが巧い人で、いつの間にか他の病室の人とも仲良くなっていた。僕は、術後の回復も順調で、軽快になっていく様を眺めていた。元気で、食事も全て食べられるため、おいしいんだなぁと思っていた。そもそもこの時点から間違っていた。僕自身全身麻酔の術後に飲んだジュースに味がないことを不思議に思った記憶があったのに。急性期実習の最終日、「味がわからんのよ」という言葉を聞いたとき強いショックを受けた。それまでの僕は、著者の言うように、目の前の現実をただ現実と捉え信じ込んでいたのだった。それは思い込みによって作られていた世界だった。その言葉から受けたショックが心に引っかかっていたものの、それ以上何の想起もできずにいた。そのことがよみがえったのである。もはや遅すぎ、あの方には何もできないし、いまだって何をすべきかわからないままなのだけれど。
 ほとんどの実習で、もう少し何か出来たんじゃないか、と思うときがある。自分の能力の限界だと感じてもいるが、あの言葉をもっと掘り下げることができていれば、という思いもある。会話しているときそこに気がつけない自分がなんともなさけない。著者とは体験のレベルが違いすぎるかもしれないが、そういえば、という場面が僕にもいくつもあった。実習前に読めばよかったな、と読書中に何度も思った。
 最後に。著書は決して答えを与えてくれるわけでも、自分の悩みに対して手を差し伸べてくれる言葉を記述してもいないと思う。だけれど、自分を振り返り、何気なく通り過ごし忘れかけていた引っ掛かりを思い出すきっかけを与えてくれた。そして、苦悩する自分の後押しをしてくれる一冊だと思う。

北谷幸寛(学生/岐阜県)
(2007.8.4 Eメール受信)

遠藤恵美子先生は気づかされた部分に黄色で線を引いたとのことですが(『看護実践の科学』掲載書評)、私は赤のボールペンで線を引きました。何度か読むうちに真っ赤になってしまいました。日々流されるように働いて、何が看護で、自分は何をしているのかと疑問が絶えません。でも、『臨床看護面接』には私が信じる看護が溢れていました。病棟のナースにもこの本のことを伝えたいと考えていました。それが、チーム会の主催が私の番で、今日実現したのです。どの章も紹介したかったのですが、第1章の患者になるということのAさんの入院体験記を題材とさせて頂きました。
私の予想以上の反響がありました。勤務後のチーム会ですから、長くて1時間の予定が2時間、各自の体験を思い出すように話し、大切なことを認識し合うことができたように感じました。
参加者全員が本に関心を示し、チームだけでなく病棟へも広げることとなりました。
現代医療の中で、看護は患者さんのために…ではなくなっているところがあります。でも個々のナースは看護をしたいと思っています。私はまだまだ経験の浅いナースで、自らのケアをもって看護を他のスタッフへ伝えることはむずかしい。『臨床看護面接』はそれを助けてくれるように思います。チーム間で明日からの看護への力となったことは、大きな一歩です。
モチベーションだけでなく、本当に患者さんのためになる看護実践へつなげられるようになりたいと思います。

高橋 麻里子(看護師、神奈川県)
(2006/11/23  Eメール受信)
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