|
■ |
本書の中心に置かれているのは、スピリチュアル・ペインとそのケアに関するケーススタディーです。クライアントに専心(M.メイヤロフの言葉)的に近づいてゆく面接過程をふりかえり、病者の苦悩と向き合い、ケアする者としてのあり方を追究・・・・・・混沌の中からケアが生まれる姿がみえてきます。巻末の平山正実(精神医学、死生学)との対談では、医療の場でなぜケアがなくてはならないものなのかが語り合われました。ケア的なるものを擁護するために放たれた、熱き一冊です。 |
【著者】すずきまさこ:前広島大学教授。日本看護連盟幹事。 |
【主要目次】 |
|
はじめに |
|
|
第1章 |
序説――看護ケアの存在論
1 わが原点――2つのエピソード
2 看護の現在への問い――ケア的なるものをめぐって
3 なぜ看護研究として取り組んだのか |
|
第2章 |
ケアをつむぐ――看護実践研究としてのケア面接
1 面接の概要
2 面接過程――変化の局面と、そこにあるケア |
|
第3章 |
病むことの怒りと悲しみ
1 さまざまな怒り
2 面接過程とともに変化していく怒りの様相
3 怒りの解釈
4 悲しみの解放 |
|
第4章 |
生きていく地平を開くケア
1 ケアの意味
2 近づくということ
3 ケアする者の態度
4 「専心」という関係のあり方 |
|
第5章 |
平山正実との対談「医の実践とケアの思想」 |
|
あとがき |
|
【推薦文/書評】 |
|
“精神科看護”11月号に『あるケアのかたち』の書評が掲載されました(「本との話」欄)。評者は阿保順子氏(北海道医療大学教授)。見開き2頁3千字に近いボリューム。内容紹介とあわせて純粋にケアとは何かを追究した本書の意義を論じられています。読者の関心に応じて様々な読み方が可能であることを指摘した上で、本文の引用とともに「看護をとおして語られた身体論として貴重である」とのご自身の読みを示されてもいます。また、「人間の『生活』や『身体』に関して看護の見地からなされた研究はごく少ない現状」に投じられた一石である本書を「看護の基礎学への貢献」として評価すべきことを強調しておられます。そして結語の一文は次の通り「看護を専攻する者として、まさに全身でケアをとらえようとする著者のエネルギーに満ちた書である」。 .............2007.10.28 |
|
|
|
看護実践の科学”7月号に『あるケアのかたち』の書評が掲載されました。評者は田中美恵子氏(東京女子医科大学看護学部教授)。「……“声を聞く相手となり続けること”がまさしくケアなのである。そのことが力強く伝わってくる。自らの信念をこのような一書にまとめることで裏付けられた辛抱強い精神、そうした著者の生きざまに畏敬の念さえ覚える。……」と書かれ、また「最終章に収められた著者と精神医学者平山正実氏との対談が、本書にもうひとつの魅力を添えている」と付け加えられています。
.............2007.6.16 |
|
|
|
“N∞アンフィニ”2007年春号(日本看護連盟発行)に『あるケアのかたち』の書評が掲載されました。評者は松原まなみ同誌編集長(前福岡県立大学看護学部教授)。「あらゆる看護実践のなかで心がけなければならない、看護者としての患者への向き合い方、看護専門家としての人間への限りない関心の向け方を本書は指し示している」と総評。内容の紹介に添えて、開業助産師時代のご自身の経験を述べられています。その「ケアによって心と体が拓かれていく」ケースはまさに本書の主題と共鳴するものと言えましょう。
............2007.3.30 |
|
|
|
“看護”4月号(日本看護協会出版会発行)に『あるケアのかたち』の書評が掲載されました。評者は高橋照子氏(愛知医科大学看護学部教授)。結びの部分をご紹介します。
「…若い人には、じっくりと著者の語る言葉を味わいながら読んでほしい。実践経験豊かな人たちには、著者が私たちに伝えようとすることを、どう自らの実践に活かせるかを考えながら読むことをお勧めする。また、研究者には、看護学独自の研究方法論の確立に向けての有益な資料として、十分に吟味検討していただきたい。」
............2007.3.24 |
【読者の声】 |
|
この本に込める著者の思いや息づかいが伝わってくる書籍でした。装丁も素敵ですが、中身も負けていません。
私は、カウンセリングのトレーニングをロジャーズの考えに添った方法で受けましたので、読んでいて、ロジャーズが大切にしていた「クライエントに対する積極的関心」、「自己一致」、「共感的理解」という態度が、そのままケアするものの態度として見事に表現されていることに感動しました。
何よりも私が共感したのは、p.134に書かれていた「相手の苦悩にふれる強さは、相手が求めるものよりも強すぎず、弱すぎず、相手の許容範囲を超えないことが肝要である」という言葉でした。このことは私の精神科カウンセラーとしての5年間の外来臨床の中で、思い知らされたことだったからです。
私は看護師としての精神科臨床が殆どないまま精神看護学の教授となり、今年で9年目になります。遅ればせながら、近頃ようやく精神科看護の奥深さやその魅力を感じ始めております。これからも素敵な書籍を提供して下さい。 |
|
影山セツ子(北海道/天使大学) |
|
2007.6.20 Eメール受信 |